サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2017/04/17 06:01:21
icon
かぎりなく
かぎりなく赦すこと。かぎりなく待つこと。
紀野一義さんの「いのち」を読んでいた。
本というものは不思議な力があって。向こうから出会いに来てくれるものだ。
久しぶりに本棚を開いて本を探していたら、
「この本だよ」と、紀野さんの方から呼びかけて来た。
まっさらの文庫本だったが、40代の頃か読んだことがある。
「大悲風の如く」
この言葉の通りに、私のようにどん底に堕ちた者にもいつもいつも優しい本だった。
「法華経」は、宮沢賢治の心の救いでもある。
どういうわけか、私もこの言葉には救われることが多い。
この言葉がなかったら、私は何をどう定めて生きていたというのだろうか。
慈とは、友情である。悲とは、呻きである。
この言葉だけで、何だか心が軽くなる。
そうだなぁ。そうだったなぁと、合点がいった。
私は、どうにもならない生き方をしてきたものだった。
でも、今も、ここに、こうして生かされている。
そのどうにもならない悲しみや、絶望や、自己否定から、
やっとどうにもならない私が見える。
見えるから、ある意味ほっとする。
そのどうにもならないものが、本来の自分に気付くために、
この世での日々の生活があるからだ。
自分を一番と感じ、自分を正しいと思っている人には、その想いはないだろう。
このどうにもならないという情けなさと罪深さ。
そのことに思い至ると、言葉がぐっと近くなり、
言葉が、生き直す力として迫って来る気がする。
その時だ。本が私を呼ぶ時は。
池田晶子さんとの出会いがそうだった。
フランクルさんとの出会いもそうだった。
その言葉を読み続けていたのは、あの病院のベッドの上だった。
再び生き直そうとしていた私に、言葉は優しく訪れてくれた。
紀野さんは、いつも私が闇の修羅を歩いている時の道標だった。
「色即是空」を徹底的に教えられた気がする。
そこから、翻って、「空即是色」の世界に変わる。
今、ここは、何も変わらないのに、
そのままで、「空即是色」となっていくから不思議なものだった。
でも、その言葉の輝きは、私の魂の闇の中に輝くものだった。
どうしようもない私が、ここに居る。
でも、その私を大悲の風が吹いて行く。
かぎりなく赦されていた。
かぎりなく待ってくれていた。
そのことを実感とている。
だは、私は、何ができるのか。
んかなことがあろうとも、今、ここでは生きている。
ならば何かおおいなるものと繋がって、一続きとなって生きればいい。
その想いとは、本のようにして向こうからやって来てくれる。
だから、こうして私が今朝を生きている。
それに、ただ感謝しかないではないか。
私は、かぎりなく赦された。そして、かぎりなく待ってもらえた。
それが、本来の慈悲かもしれない。
ならば、私が、そうすることこそ、私の「いのち」を生きることだ。
紀野さんは、とうの昔にこの世から去った人だ。
でも、この人に逢う度に何だかとても懐かしい。
そういう人に、私もなりたいものだと、今朝も想ったところだった。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件