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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/04/23 07:15:16

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    哀しいな

    今朝も同じ。
    何だかねぇ。哀しくもあり、寂しくもありかな。
    これからどう生きるか・・・・ではなくて、
    「生きるとは何か」なのに、アルビの敗戦からどっと力が抜けてしまった。

    昨日は、久しぶりの本町だった。
    コシアブラにタラの芽と、山菜がやっと市場に出回って来た。
    佐渡産というやけに短い蕨も小さな束にして売っていた。
    また春が来たんだ。
    一回りして、こうしてまたまた原点に立ち返った。
    新潟の季節はいいものだなぁと、いつも想う。
    今頃、山古志や松之山はまだまだ雪の下だが、
    春を迎えて、フキノトウが顔を出していることだろう。

    あれだけ早く元気になりたいものだと願っていたのに。
    もう歩けなくなってしまうのではと不安になっていたのに。
    こうしてゆっくりと歩けるようになると、
    今度は、いかに生きるかの心配をしている。
    この年になると、つくづく生きるとは、孤独なものだとしみじみと感ずる。
    「心を観る心なし」
    そうなんだけれども、こうして余計なことを考えて、悩んでいる。

    痛みの最中では、ただこの痛みが消え去ることを切に願った。
    立ち上がることができるようになったら、せめて杖をついて歩きたいと願った。
    少しずつ歩けるようになったら、今度は椅子に座れるようにと願い。
    今は、畳の上で胡坐をかけるまでに回復をした。
    身体は、こうして身体としての蘇生を日々行っている。
    回復の歩みをこの身体を通して体験した。
    本当に遅々たるもの。微々たるもの。極々僅かだった。
    でも、自然に委ね、任せていると、そうやって身体とは回復に向かうものだった。

    では、心はどうなんだろう。
    この心には、やっかいな我執というものがある。
    私という我儘な自分がいる。
    もういいよと、その私とは離れたような気持ちになっていても、
    その私はひよっこりと顔を出す。
    「孤独だねぇ」「寂しいねぇ」「哀しいねぇ」と、囁いて来る。

    私は、二カ月間のリタイア生活だった。
    まさに一カ月は寝たきりの状態だった。
    そんなことにならなかったら、今頃は山に登っているかもしれない。
    こんな天気のよい日曜の朝は、日和山まで走ったものだった。
    映画には二カ月も行っていない。
    観たかった映画は、もうどこにも存在していなかった。

    でも、哀しいのは、出来なかったからではない気がする。
    この哀しさとは、そういう哀しさではないようだ。

    お日さまが昇って来た。
    いい日になりそうだ。
    新潟のこの季節は、最も私が好きな季節だった。
    風は止まない。止んでもいない。
    この心の哀しみと言う病も、その回復を風に委ねて、待つしかないのかもしれないな。
    59歳と9カ月。
    何も分からず、今日を生きている。

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