サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2017/04/27 06:03:03
icon
風呂場で転んだ
さてさて、つくづく年を感じた。
昨夜、風呂に入っていて突然「刺身だ」と、思い出して湯船から上がったら、
咄嗟のことで覚えていないのだが、滑って転んでしまった。
気が付いたら裸のままで身体をくの字に曲げてうんうんと唸っていた。
またまた左膝を強打したようだ。
シャンプーやリンスのボトルが散乱していた。
緊急事態なので助けを呼んだが、誰も来てくれなかった。
暫くしてやって来た次男は、じっと横たわっている私を見下ろし、
「どうしたん?」だけだった。
やっぱり私は、独りで痛みに堪えるしかないようだ。
運命とは、神様から与えられた、宿命であり、必然だった。
しかし、そこには与えた神様からのメッセージが必ず存在している。
意味のないものは、一つも人生には起こらない。
どんなに悲惨で、苦しく過酷な運命であろうとも、
その極限的な状況に置かれない限り、
私は、その意味を分かることができないようだ。
ふりかえってみたら、
どうしてみんなことをしてしまったのかと、
自分で自分のことを嘆いてしまうような選択と行動ばかりだったとしても、
それは、そうせざるを得ない状況に置かれ、
そう選択するように内なる声に命じられ、
その指図によって突き動かされて、
そうなってしまったことが、多い気がする。
何故ならば、今、そのことやあのことを振り返って見ると、
「どうしてあんなことをしてしまったのか」と、
自分でありながら、自分が選んだことでありならが、
訳が分からないことが多いからだった。
理性的に考えたら、それは間違った道であったかもしれない。
もっと違った道も、そのすぐ脇にあったかも知れない。
そうではない選択の出来る場である分かれ道は確かにあった。
それでも、私は、その道を選んだ。
それは、その時の私には、運命であり、必然であると感じられたからだ。
そして、確かにその選択は、
私にとっては偉大な運命であったことがよく分かる。
そうせざるを得ず。そう生きざるを得なかった。
どうしてそんな厳しい選択を、私は自分の人生の中で迫られるのか。
それは、確かに私の不徳の致すところであるだろう。
平安に生きたいと願いつつも、いつも怒涛の海に漕ぎだして行く。
そんな生き方を選択することも、私が私としてここに生きている宿命なんだな。
しかし、どうしようもない私であっても、
きっとそこに再び立てば、感情と強い想いとに促されて、
同じような行動をするのだろうとも思っている。
何故なら、それがこの世に生まれた私に与えられた物語だからだ。
過酷な運命に落とされ、その暗闇の中で独りもがき、苦しんでいる間は、
その物語が、その先にどのように展開するのかは、
誰にも分からないことだった。
しかし、救いは、必ずある。
希望は、必ず存在する。
その救いこそ、その希望こそ、決して失われることのない絶対のものなんだ。
それを、本当に心から実感するために、
私は、私だけの物語を最期まで全うすることが求められていた。
役者とは、そういうものだ。
役者が、物語の途中で舞台を降りることは、赦されることではない。
その物語の筋書きを味わいつつ、その台詞を語りつつ、
私は、やっと私と出会い、私を感ずることができる。
そして、最期には、人生とは、救いであり、希望であり、平安であることを、
きっとその瞬間に悟るのだと、私は想う。
「運命」とは、神様の働き。
「宿命」とは、その働きを自覚しつつ、自らを委ねて生きること。
昨夜、風呂場で転び、左足の膝を強打して、今も痛みを感じているのも、
やっぱり私の物語であり、運命であり、宿命なんだ。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件