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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/05/25 06:14:13

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    もうず60歳だぞ

    昨日、予約をしたいた歯医者さんに行った。
    そしたら、お母さんが亡くなったとのことで休診だった。
    親を亡くす哀しみは、ここにもか。
    それは、誰もが通らねばならない道だし、
    私自身が、本人として迎えねばならない宿命だ。

    60歳を目前にすると、
    やっぱり考え方が少し変わったような気がしている。
    この年まで生きてみなくては、やっぱり分からなかったものだった。
    まず、「死」だ。
    今、こうして思い返してみると、よく生かされて来たなぁと感謝する。
    ここまでどうにかこうにか生きて来た。
    それって、それだけですごいことだったのかも知れない。

    途中行方不明になったこともある。
    途中急病で倒れたこともある。
    途中難儀で難儀て歩けなくなったこともある。
    しかし、それなりにちっぽけながらこの人生を楽しんで生きて来た。
    やりたいことも、やってきたような気もしている。

    独りだなぁと、よく想う。
    だからと言って、2人にはなろうとは想わない。
    2人になって、もっと孤独を感ずることが空しいからだ。
    独りでいいなぁとも、素直に想えるようになった。
    心底共感し、あうんで語れる友は欲しいとは思うが、
    なかなかそうした人との出会いの難しさも感ずる。
    だから、せっせと庭仕事をし、夕方には花を見ながら酒を飲む。

    還暦とよく言ったものだ。
    私は、私にとっての人生のある一点に戻るようだ。
    生まれてから60年間、
    私は曲がりくねって美しくもない円でもあるが、
    この時間の中での大きな円環運動を生きて来た。
    そして、60歳の朝に、その出発点である一点に還る。
    さて、それから先は、どう生きるかだった。

    この先は、この生を宿った意味をわかりながら、
    その道を、自分のことを勘定に入れずに、ただ淡々と歩きたい。
    何だか、それまでの試練や苦労や難儀の中で、
    かすかに分かって来た自分そのものに、
    これからはなり切って、何かを淡々とやり切ることが、
    私にとってのこれからの宿命となっているような気がしている。

    私がそうするのではなく、
    そう促され、働かされる私で、生きる。
    その次の円環運動の終点が、「死」である。
    そしたら、それを笑顔で迎え、
    また、次の円環運動の旅にでればいい。

    歯医者さんのお母さんは、
    きっと今頃悲しみに暮れる息子の背中を、
    じっと慈愛の眼差しで見つめていることだろう。
    死の後は、そうした眼差しとしてここに生きられるんだなぁ。

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