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from: クマドンさん
2017/06/14 06:09:50
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涙を信ずる
最近。涙が溢れることが多くなった。
突然、涙がやって来る。
本当に、私はそのことを決めていない、
私は、私なのに、私ではない深いところから、
その涙は湧き上がる。
みんなの中だから、本当に困ることがある。
先日の礼拝の最中だった。
牧師さんのR先生のお話しを聴きながら、
私の私が突然に感じて、動き出し、震えて、涙が止まらなくなった。
「ここに主がおられる」
何だか、R先生の生き方そのものが、神様の証であった。
つまり、ここにいらっしゃるのだ。
R先生の苦難の人生は、幸いに至る人生でもあった。
振り返れば、そこに神の愛ありだ。
信仰をもって、その信を一途に貫いて生きて来たからの今、だった。
家族や、友人、出会った出来事一つ一つは、
しっかりと経糸と横糸とで織られていた。
その織てはきっと、主なんだな。
するとだ。
私なのに、私がその主と出会えたことの喜びか、感動なのか、
歓喜して、打ち震えて、とめどなく涙が熱く熱く溢れてくるのだ。
そうすると、もう何も言えない。
恥ずかしいから抑えようとしても、その涙は嗚咽に変わる。
どうにもならない。どうしたらいいのか。
讃美歌を歌えなくなってしまった。
言葉が、一つ一つの言葉が胸に迫る。
その真実を私の私は喜び、感じ、震えて立っている。
涙の声では歌えない。
謡えない。
どあしようもなく、どうにもならなく、私は、涙に任せた。
私の私とは、何なんだ。
昨日もハートネットTVを観ていて、
涙が止まらなくなった。
「ああ、そうか。そうだったんだ」と、気付いた瞬間に、
どっと涙が溢れて来た。
どうにもならない。どうしようもない。
私の私は、本当に感じて、喜んでいた。
その現れが、この涙だった。
今朝、四時半に起きて、「無心」について読んでいた。
現生に置いて往生する。
今、ここが、私であり、私を見つめる仏様である。
まるでテレビのスイッチを入れるようにして、
ここに、私が観る仏様と、仏様に観られる私とがいる。
私は観る私だが、同時に観られる私でもある。
「立往生」という言葉が浮かんだ。
これはよい意味では使われない言葉だが、
現生に置いて往生することを是とするなら、
立往生すべきなんだな。
まあ、日頃のいつもの生活では、
この立往生ばっかりだけど・・・・。
そして、どんと来てしまった。
「なみだ」のことを考えていたからだ。
そして、突然、その意味が私の私にひらめいた。
「汝弥陀」
そうか、汝の弥陀なんだ。と。
この涙は、私の私の弥陀が流す涙なんだ。
ということは、私の私は弥陀である。
それから、暫く、ずっと、黙って、そうだ、そうだったんだと、
その感じを、じっと味わい、実感した。
あなたも、わたしも、仏様だったんだな。
涙は湧き上がるもの。
でも、それは感じて、喜び、震える弥陀の証なんだ。
涙を信ずれば、きっと己自身も信じられるはずだ。-
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