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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/07/11 06:08:34

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    「よだかの星」を読もう。もう一度、もう一度。

    オーセンティクボイス・真実の声の話。
    久しぶりにこの放送を聴き直した。
    するとほんのちょっと聴いただけで、発見が在った。
    「向上性と」書くのだろうか、
    そうしたよくあり、真実である姿が、
    細胞そのものの本来の生まれたままの姿であるそうだ。

    そのことを若い頃聴いたとしても、
    きっと分からなかったと思うが、
    今は、それを語るその人に共感し、
    その想いを分かち合うことができる。
    そうだよなぁ。私も、そう想います。

    そうすると、何だかじんわりと喜びに包まれる。
    摩訶不思議なんだが、
    よく来たねと、何だか笑顔で迎えられたり、
    待っていたよと、ずっと私の来るのを待っていた人に出会ったような気がする。

    それは、だって初めて聴いた言葉であり、考えであり、在り方なのに、
    「ああ、そうだったんだ」「これでいかったんだなぁ」と、
    何だかずっとずっと生まれてからずっと知っていたような感覚だった。
    しかし、その分かったという瞬間は、
    いつでもあるというわけでもなく、
    こちらからそうなりたいと想ったからできるのではなく、
    突然、あっそうかと、天啓のようにひらめく時の瞬間なんだな。

    オーセンテイクッボイスが、脳の旧皮質を反応させる。
    その本物の声が響くと、無意識でここにあったあるものが目覚めて、反応する。
    感情とか、情動とか、何だかとてもそれを軽く考えていたが、
    本来はとてもとても深いところに眠っている真実であり、リアルなんだと、
    やっと最近、分ち合えるようになった気がする。

    「われわれ」に居る。
    それは、私でもなく、あなたでもなく、私であり、あなたでもある。
    これだとは言い切れないが、ここにありますと言えるもの。
    その私でありながら、私であるとはずっとずっと理解していなかったもの。
    いや、感じられることすらなかったもの。
    でも、不意に涙や感動を通して、「ここに居るよ」と呼びかけられたもの。

    そこからの声こそ、真実の声。オーセッティックボイスなのだそうだ。
    その声を自分の声として、借り物ではなく、私だけのわれわれの声として、
    その声を発することで、私の細胞は修復され、
    その声を聴いた人たちは、癒され、平安な気持ちになる。
    心地好い感情・情動とは、素直にその声に感じて、応ずるものに、
    自分を委ねることであり、何も考えずに、それを信ずることだ。

    人類が誕生してここまで、そのオーセンティクシティー(真実)は、
    途切れることなく、休むことなく、営々として、ここに活きている。
    私は、三度の手術と、一年半に及ぶ、この回復生活を経験して、
    その躰から発せられる、真実の声と、その蘇生に向けた働きとを、
    まさに説明はできないが、体験している。
    それは、実感だ。実にリアルだ。
    それを、無いとはもはや言えない。

    それは、在る。ここに。
    そして、こうして今も働き、私を向上的に活かそうとしている。
    躰は生きようとする。
    躰は心地よくあろうとする。
    その方向に向かって、全ての細胞は働き続けている。
    しかし、その働きを阻止し、阻害するものがある。
    それは、偽りの声。作り物の声。見せかけの声だった。

    向上性に反する。不自然な声を、人は自分の声として世間や社会の中で使う。
    すると本来ある働きが働かず、向上性が傷つき、修復不可能になってしまう。
    私が、そうだった。
    だから、今もこうして縦一文字の傷があり、
    十個も腹に穴の跡がある。
    しかし、今は、こうしてほんのわずかずつだが、修復に向かっている。
    それは、決して私の意志や操作ではなく、
    この躰が自然に働いて行ってくれていることだった。

    私は、信ずる。
    ただ、それだけだ。

    「よだかの星」の物語を、日曜日に賢治の会でみんなで読んだ。
    私は、何と言ってよいのやら、分からなくなっていた。
    それは、分かっていたときっと私は勘違いしていたのだと、
    その時、はっと気づいたからだ。
    私は、あまりにもこの物語を単純に感じ取っていたらしい。
    ところが、この試練と艱難辛苦を経た後の、
    こうして60歳の一カ月前のこの私にとっては、
    その感じではないぞと、賢治のほうから呼びかけて来るようだった。

    そして、あのラストのよだかの場面となった。
    私は、はっとした。何だこれはと感じた。
    私は、本当に一語一語を味わって読んだ。
    それは、食物を食べて、噛んで、深く味わうようにだった。

    何だか、涙が泣かれそうだったので、堪えた。黙った。
    「お月様のウサギの物語」

    よだかは、最も美しい星の1つとして、今も、ずっと燃えている。燃えている。

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