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from: クマドンさん
2017/07/12 06:14:57
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「隴山は煙雨 浙江は潮」だね。
今朝、大拙さんの言葉を読んでいた。
「隴山は煙雨 浙江は潮」改めてこれを感じた。
そうだなぁ、やっぱりそうだよなぁ。
そのままにあることで、それでいいと言える私。
昨日、また帰りにコメリに行った。
行くと駄目だ。
やっぱり花を買ってしまう。
あれやこれやと選びながらも、
花の方から呼びかけて来る。
私は、いつの間にかオクラやパッションフルーツの苗と共に、
籠いっぱいの花の苗だった。
こう見えても、私は花の名前を知らない人だ。
買って帰って、庭に植えても、その名を知らない。
毎朝、毎夕、会って声をかけても、その名を覚えてはいない。
ただし、その花、その花、一本一本は知っている。
だから、一つ一つの花に呼びかける。
そして、その花の言葉を感ずる。
花壇の一角に、自慢の寄せ植えがある。
私は、全く花のことは素人だ。
よく花を育てている人は、その花の種類ごとにまとめて育て、
美しく着飾らせていることを見ている。
私は、それをやらない。
ただ、想うがままにいろいろな花を一つのプランタに植える。
地にもそうだった。
不思議なことだが、そこにポットで置くと、おさまりがよく感じられることがある。
その花には、その花の落ち着く居場所があるような気がする。
だから、その花を、そこに植える。この繰り返し。その連続。
そのバランスを間違ってしまうと、何だか気になって落ち着かない。
そしたら、次にはあそこにこんな個性の花に来てもらおう。
そして、花屋さんの店先に立つ。
私が買う花は、高くても300円。
いつもは、80円~150円だった。
「何、一回飲みに行ったと思えば・・・」だった。
近くの花屋さんのことだ。
私が週に一二度、いつも買いに行くのですっかりとお得意様になってしまった。
「麒麟」という名のお店だと、つい最近知ったばかりのお客だ。
でも、店の前を通る時には、素通りはできない私だ。
ある日、その花屋の主人の女性に言われた。
「きっと庭、おきれいなんでしようね」と。
私は、そう言われて恥ずかしくなってしまった。
その人がイメージするすっかりと整えられたガーデンではなく、
私の庭は、自然栽培の畑とでも呼べるように実にワイルドで、
どう見たって統一感のない、自由奔放な庭であったからだ。
でも、改めて、昨日の夕方、暑さの中で庭仕事をしながら、
実に、実に、落ち着く庭になっていることを感じた。
余計なものはない。
私が植えたのではない。
ここに育っているのは、彼であり、彼女自身だ。
枯れた花は、鋏で切って還ってもらった。
次の、新たな花芽のためだった。
門の前の二つのプランタの花を整理した。
新たに植えて、美しく蘇った。
ここからは、花たちの宿命だ。
昨年の夏、ちょうど来週には、私が腹腔ヘルニアの手術をした日になる。
それからひと夏、病院のベッドだった。
だから、私は、昨年の夏の猛暑を知らない。
昨年の夏の思いでは、病院での単調な日々だった。
その時、庭はもっともっとワイルドで、
どうにもならない野趣あふれた状況だった。
私は、帰ったら、動けるようになったら、庭を復活させようと願っていた。
自宅に帰っても、動くこともできない日が続いた。
そして、今、庭は、私の居場所となっている。
ここは、「われわれ」の場所だった。
何だか、ここに立っているだけで、われわれの声が聴こえる気がする。
不思議だなぁと感じ。不思議だなぁを信じられる。
私が創った庭ではなく、
ただ花たちが野菜たちが生きている場所であるのがこの庭である。
「隴山は煙雨 浙江は潮」
本当だったと、今朝、改めて感じた。-
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