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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/07/17 09:04:09

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    自分自身で在ることの意味

    さてさて、「途中の会」のことだ。
    土曜日に小千谷にでかけた。
    電車の旅は、いいものだといつも想う。
    ここにいるだけでは知らなかった、世の中が分かるからだ。
    いろいろな人たちが電車には乗り合わせる。
    そして、自分の目的地に来ると、すっと降りて去って行く。
    ああ、まさに電車の旅は、人生の縮図かなぁだった。

    さて、80歳のSさんと、もうすぐ60歳の私と、54歳のWさん。
    不思議だなぁといつも感ずる。
    こうして途中の会が始まって、いつのまにか10年はたっただろうか。
    その間、本当にお互いの人生にいろいろとあった。
    私には、去って行く友が多かったが、
    彼等だけは、私のことを見限らずに、こうして付き合ってくれている。
    それはそれはありがたいことだった。

    何よりも、さてと言って、すぐに「いかに生きるか」の話ができる人たちだ。
    そのお互いの気付きを聴き、学びながら、自分自身を深めて来た気がする。
    話の最初は、深さについてだった。
    Wさんは、今年も8月1日~11日まで、中国の辺境の少数民族の村を訪ねる。
    もう何度も、何度も訪れる土地を変えて、
    繰り返して来た中国の旅だった。
    けっして、観光地には行くことはなかった。
    バスすらも通らないようなへき地に、好んで彼はでかけた。
    それは、彼の深いところで、共感し共鳴するものがそこにはあるかららしい。
    郷愁とでも言うのだろうか。
    日本人が忘れ、失ってしまった温もりがその土地の人たちには生きていると言う。

    私は、「いい加減」と「どうでもいい」の話だった。
    本当にいい加減に生きていることの、楽な生き方だ。
    いい加減は、私が加減するのではなく、
    私が、私のつまらない計らいをなくして、ただ任せているだけで、
    自然と醸され、いい具合に、いい塩梅になると言うことだ。

    「どうでもいい」は、その言葉通り、「どうあっても、いい」なんだ。
    人生振り返って見たら、波乱万丈。人には言えないことばかり。
    本当に我がままいっぱいに、やりたいことだけをまっすぐに全うして来た。
    だから、家族からも見放され、友も去り、どん底になっての今がある。
    手術の失敗から、生死を彷徨い、激烈な痛みで苦しみ抜いた。
    そして、今だ。
    その最中にはそうは絶対に想えなかったが、
    今は、全ては私の人生にとって益となると知った。
    無駄であったことは、一つとしてない。
    身体を通して学んだことは、実に実にリアルにここに存在する。

    身体で学んだこと、感じたことだけが、リアルな真実だ。
    そして、そうやって気付いたことは、自分自身のことではないか。
    人は、そんな体験を通してしか、深くには至れない。
    深くなると、もう薄っぺらなところには戻る気がなくなってしまう。
    そして、その自分自身の深さしか、相手の深さを感じて、味わうことはできない。
    その深さに、在ることの静けさ、豊かさ、安堵感。

    きっとWさんの深さが、感じて、また中国に誘われたのだと想う。
    山本山の山頂の山荘で、こんな語り合いが行われた。
    私たちにとっては、時間をすっかりと忘れた、至福の時になった。

    お互いに空っぽな人だから、お互いの語りを聴き、言葉が沁みこんで来る。
    その沁み込み方が気持ちいい。

    それから、岩沢に向かった。
    この村からアスリートとして実業団の駅伝で活躍している、
    小泉直子さんの激励会に参加するためだった。
    彼女の亡くなったお母さんを、Sさんは中学校で教えた。
    バレー部で名セッターだったそうで、
    そのトスのおかげで小さな中学校が県大会に出場できた。
    その小泉商店の娘さんが、直子さんだった。

    彼女はデンソウ陸上部に所属し、実業団の駅伝では区間賞をとったこともある。
    月間千キロも走ったことが在り、とにかく練習、練習の生活だった。
    今は、そのための疲労骨折で休養していた。
    それでも、早く治して、東京オリンピックを目指したいと語ってくれた。
    真っ直ぐに闘っている人。
    また二十代半ばなのに、その修練によって深い、深い女性になっていた。

    Sさんが、手を挙げて、彼女の亡くなったお母さんの思い出を語った。
    彼女は、すると涙が溢れて、話せなくなってしまった。
    彼女の活躍と、地元で行われているこの会を、
    お母さんはとてもとても喜び、感謝しているはずだった。
    私は、彼女の横に立って、Sさんにお礼を言っているお母さんが見えた気がした。
    そのお母さんの想いを胸に刻んで、彼女は苦しい難所を走り抜いて来た。
    想いが、人を育てる。
    若くして亡くなったお母さんの想いが、彼女を通して輝いて見えた。
    私も、涙、涙だったな。

    人は、心において事なく、無欲で、無心であると、
    きっと気持ちよく、日々を生きられるのではないだろうか。
    その生き方そのものは、生まれる前から自分自身はちゃんと知っていた。
    ただ、その「自ずから」をどう「分かり」
    「自ずから」をどう「体現し」「生き方」や「言葉」をとうして表現するかだ。

    自ずから分かり、自ずから身体全部で表現しつくす。
    本来生まれた「自分自身」にただ気付けばそれでいい。
    きっと「加減」も「大丈夫」も、大きなはからい、働きがしてくれる。
    それは、亡くなった彼女のお母さんが、してくれたようにだ。
    だから、安心して、死ぬまで生きればいい。

    帰りの電車から、Sさんにメールを送った。
    人は、独りであること。
    人は、必ず死ぬということ。
    そして、おおきな働きに生かされているということ。
    そのことを、私は60歳を手前にして、やっと分かることができたようだ。

    迷ったら、自分自身に還る。
    それは、月間千キロ走る彼女も同じなんだなぁと、そう想った。

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