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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/07/19 06:17:10

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    「われわれ」を実感する時が来る

    昨夜、夜中に大雷鳴の雷だった。
    地響きを立てて、大爆発を起こす自然の驚異。
    まさに、こんなちっぽけな人間には為すすべもなかった。
    その後も、遠雷が続いた。
    そして、またまた、熱帯地帯のような豪雨が降って来た。
    ほんの短い時間なのに、どっと一気にあの雲のバケツを空っぽにするまでは、
    その激しく地面を叩きつける音と、向こうが霞むような滝が、
    どっとどっと止むことをすっかり忘れて、降り続く。

    水は低きに集まる。
    全ての水は、寄せ集められるようにして、川や用水路に流れ込む。
    濁流となる。
    ほんの数秒とは言わず、どっとその急な流れが茶色く濁ってあふれ出す。
    膨れだす。暴れだす。
    誰も、これを止めることができない。
    また、もし、この大きな怪物のような流れを堰き止めれば、
    そこから行く場を失った怪物たちが、堤防を乗り越え、町にあふるる。

    この大いなる自然の猛威には、私たちは、為すすべを知らない。
    ただ、茫然とその惨状を目の当たりにして、涙を流して、受け入れるしかない。
    生きるとは、こういうことの繰りかえしなのかもしれない。
    こうした試練をこれでもかこれでもかと、繰り返すうちに、
    きっと深く深くで呼ぶ声が聴こえるのだろう。
    「われわれ」の声だ。
    哀しいけれど、辛すぎるが、そうなのかも知れないと今は、独り想う。

    小千谷のSさんの家が、床下浸水だった。
    家の裏を流れる用水の上に住宅を作り、その用水をトンネルにしたためだった。
    その用水路の上の住宅には被害はないが、
    そのトンネルの手前のSさんの家に、水が押し寄せる。
    その水は、小千谷の山から野から田んぼからあふれた水たちばかりだった。
    怒涛のように押し寄せて、行く場をなくして、暴れまわった。
    「為すすべが無い」

    Sさんご夫妻は、今日、暑さの中で、畳を上げて、床板をはぐ。
    80歳のSさんに、何もしてあげられない、私も・・・・・。
    大いなるものは、そうして苦難を人間に負わせ、しょい込ませる。

    Wさんから、大変だとあるブログを知らされた。
    驚いた。シンセサイザー奏者のTさんが、大腸の癌で緊急入院だった。
    その病室で彼が書いた文を読ませてもらった。
    不思議なことだが、すーっと私の言葉として落ち着いた。
    言葉とは、実に不思議なものだなぁと、その瞬間感じた。
    彼は、宣告され、驚き、迷い、哀しみ、どうしてと考え、それでもと今に生きている。
    その言葉ひとつひとつが、私なんだ。

    すーと身体に沁みる。
    すーと自然に分かち合える。
    「ああ、これこれ」「そうそう、そうか同じだなぁ」かな。
    これは、きっと入院して居なかったら、分ち合えない感覚だと想う。
    「ああ、そうなんだ」「大変だなぁ」で、その先には行かない、行けない。
    でも、彼の一つ一つの言葉を読みながら、
    私の身体がその言葉を味わっていることを感じた。

    本当にそうなんだ、ゆっくりと噛みしめて、その味を味わっている。
    それは、無意識の私の魂の語りを味わっているような錯覚だった。
    ああ、「われわれ」だなぁと、感じた。
    そして、「われわれ」とは、無意識に全ての人たちに存在する「われわれ」なんだと、
    今朝、ラジオを聴いていて、はっと気づいた。
    無意識は1つなんだ。
    そこには、私と彼との区別は、存在しない。

    その「われわれ」とは、私でもあり、Tさんでもあり、Sさんでもある。
    こうした不意な、突然な、どうにもならない災害や病気は、
    その「われわれ」に気付く唯一の場であるのだと、何だかそんな風に今は想う。

    お日さまが昇った。
    Sさんは、この朝を床下浸水の家で、どんな気持ちで迎えただろうか。
    Tさんは、病院の窓の外、町の屋並みの向こうから見えるこの朝日を、
    どんな気持ちで見つめているだろうか。
    ちょうど一年前、私も大学病院の食堂から、飯豊の上に昇る朝日を見ていた。

    その頃、私は、毎日のことをこの「親父たちよ」に書いて送った。
    こんなもの誰が読むものかとは、想う私も今でもいる。
    でも、Tさんの言葉を読んで、書いておいてよかったとほっとした。
    「われわれ」を体感し、実感した人は、言葉で遺すべきなんだ。
    きっといつか、「われわれ」を実感した人たちにとって、
    その言葉は、深く深くの心の救いと癒しとになるからだ。

    Sさん、ご自愛ください。決して。無理をしないでくださいね。

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