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from: クマドンさん
2017/08/13 06:48:27
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心配する人に
Sさんと話したことがある。
出会った人の中で、忘れられない人が居る。
その人って、とってもとっても深い深い人で、根っこで語り合える人だったと。
たくさんの人に出会っても、出会った人は、少ない気がする。
あの人のおかげで今の私が生かされている。
そんな人生の師匠のような人との出会いは、人生には希なことだろう。
私には、そうした人生の師匠が何人か居てくれる。
みな年を取り、ある人は既にこの世の人でない。
しかし、何だか人は、身体があるから生きているのではないなぁと想う。
魂があれば、身体がなくなっても、ここに生きる。
それって、本来の人の在り方そのものではないのかと、
本日、お盆の朝に、その想いを改めて新たにした。
それでは、私は、誰かの想いの中で生きている人となっているのか。
私の魂は、その人の中で凛として燃えているのだろうか。
それは、全く分からない。
ただ、言えることは、私が私になるということだけだ。
きっと私が私で在ることが、
出会った人の私に働きかけ、感化して、何かを伝えるのだとそう感じている。
そうした魂に、自らならねばならないんだな。
生死事大・無常迅速
この無常な世に生きていることを日々確かにして、
ならば、今、ここで、何を為すか、それしかないのだと、
その師匠の生き方を思い出しながら、そう感じている。
かって共に飲み、語り合った、沼垂四つ角の「山小屋」のことを思い出していた。
そこで出会った人たちが、私にとっては、まさに人生の師匠だった。
みな私よりも一回りも二回りも先輩だった。
人生の有象無象を生き抜き、波乱万丈な荒波に翻弄されながらも、
そんなもんだと、静かに、落ち着いてその荒波を渡って来た人たちだった。
面白いのは、そんな苦労を笑いに変えてしまう力が、
師匠たちには備わっていたことだ。
何だか切ない話も、何だかどうにもならない話も、
その師匠たちには、笑い話、よくある話になっていく。
その切り替えや、どん底から人生を達観する視点がすごいと、今も感ずる。
森田さんは、既にずっと向こうの人だった。
今日は、久しぶりの里帰りかな。
森田さんは、駄目で、どうにもならなかった私を認め、可愛がってくれた。
カウンター越しに、いろいろな話を聴かせてもらった。
それが、いつも、今、ここだから、私の魂に響く話ばかりだった。
「ここですか」だ。
それだけ、どうにもならない私のことを心配してくれていたのだろう。
蒲水先生もそうだった。
可愛がってくれた。書の弟子にしてくれた。山ノ下納豆のパッケージだった。
その先生に私は、不義理をして、今は、会いには行けていない。
何をしているのだろうか、クマさんは。
父と母は、こんな私をどう想って観ているだろうか。
きっと「心配」してくれているんだろうなぁと、今も感ずる。
森田さんも、蒲水先生も、父も、母も、できの悪い私のことを、
いつもいつも「心配」してくれていた。
「心を配る」それは、「いつでもあなたを見ているよ」というメッセージだ。
こんな私なのに、「心配」してくれる人が居てくれた。
ありがたいこだと、しみじみ感ずる。
そんな物語を今は、心に描いている。
どうにもならない私が、ここまで生きて来られたのは、
そうした深い深い人たちが、私のことを「心配」していてくれたからだった。
ならば、私にできることは何だろう。
「恩送り」だな。
私は、私の妻と長男と次男のことを「心配」すればそれでいい。
私は、私と出会った人たちのことを「心配」すればそれでいい。
私は、「心配」された人だったから、今度は「心配」する人になればいい。
やっと次は、私なんだと、私の出番が来たようだ。
そんなこれからの私の生き方を、森田さん、蒲水先生、お父ちゃん、お母ちゃん。
心配しながら、これからもずっとずっと見守って欲しいなぁと、想います。-
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