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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/08/17 06:24:30

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    「そこ」を通り抜けてから

    何だか、秋が来たような涼しさだ。
    夜中に寒くなって目が覚めた。
    そして、扇風機を止める。
    するとちょうどいい。
    昔々、私が子供だった頃、
    新潟の気温は、真夏でもこんなんではなかっただろうか。
    エアコンなんかなくても、けっこう汗をかいてもそれでも過ごせた。
    今年は、海に行こうとは、想わないこの涼しさ。
    日照不足で、夏野菜が育たないと、農家の人の嘆きだった。

    怒涛のようにして、庭の樹木の剪定をした。
    大袋に8つ。
    それを車のトランクに詰め込んで、昨日ゴミ収集場に運んだ。
    吾ながら、よくぞここまでと、
    その袋を降ろしながらの感動だった。

    私は、どっとやってしまうときがある。
    それは、私の中からのパッションとでも言うのだろうか。
    抑えきれないもののようだ。
    そうなったら、そのパッションにはブレーキは効かない。
    行くとこまで、行ってしまう。
    あの巨大な松が、すっかり刈り込まれ、坊主状態だ。
    それは、一日の仕事を終えて松を見上げると、
    「ここも」「あそこも」と、やばしい部分から呼びかけてくるからだった。

    仕事は、最後まで、満足できる段階で終えたい。
    何だか、やり残した途中感は、面白くはないものだった。
    だから、こっちの枝がすっきりすると、
    その尺度でこっちの枝を見る。
    すると、まだまだ手を入れねばと感じてしまう。
    そして、また脚立に上がり、高枝鋏をぐっと伸ばす。
    その結果かが、大袋8つだった。

    しかし、これって考えることの面白さなんだな。
    どの枝を切るか。どの枝を遺すか。
    どの長さで切るか。どんな形で遺すか。
    絶えず高枝鋏を伸ばしながら、問い、考え、決断し、この答えのように鋏を伸ばした。
    それって、とてもとても面白く、夢中になる作業だった。

    身体を動かすことに、これだけ執着して、日々実践しているのは、
    そんな一連の行動へのプロセスが、
    人としての生き方の本質と何か通じていると感ずるからではないだろうか。
    のほほんと、何もしないで、テレビを観て、酒を飲んで、ごろんでも居られる。
    しかし、半日はそれはできても、一日では、すっかり退屈する。
    何だか、とてもとても時間がもったいなく感ずる。
    だから、身体を動かす。それは、人生そのものをを有効活用することでもあった。

    一日の時間は、この朝のように平等に訪れる。
    短か過ぎる人も、長すぎる人もいない。
    みんなちょうどよい時間を神様から与えられている。
    これって、とてもとてもありがたい恵みではないだろうか。

    ところが、昨年の今頃は、大学病院を退院しての自宅療養、
    隣の部屋に布団を敷いて、仰向けになって寝ているだけだった。
    動けない。いや、動かしてはいけない身体。
    負荷をかけ、無理をすると、縫った部分が裂けて、
    お腹が真っ二つに割れてしまう。

    日常生活は大丈夫です。
    歩かないでください。走らないでください。重い物は持たないでください。
    高いところには上がらないでください。裂けますよ。
    1年間は安静な生活を続けてください。
    自転車に乗れるようになったのは、この春からだった。
    そしたら、椎間板ヘルニアで、1カ月また激烈な痛みの中で寝たきりだった。

    そんな経験があっての、この涼しい夏だ。
    やっぱり、庭に立って脚立に跨り、
    高枝鋏を駆使するのは当然の成り行きではないだろうか。
    このパッションは、身体から沸き起こるパッションだった。
    そして、今年こそは、やっとその身体がパッションに応答して、
    活動できる身体になっている。
    それが、何よりの感謝であり、喜びだった。

    そして、分かったことがある。
    そのどうににもならない感によって、
    私は、悟ったことがある。
    その想いが、今の私の想いの根底に息づき、
    その想いによって、今、ここの私は生かされ、
    その想いを少しでもリアルにするために、言葉を語り、実践している。

    その深い深い想いを、私はこの困難な激烈な痛みの試練から、
    学ぶことができたようだ。
    「そこを通りぬけなければ、きっと分からないよ」という、「そこ」
    やっぱり「そこ」は、その人の人生で程よいところでやって来るようだ。
    そんな、絶妙な人生のタイミング・運命と言うことを、
    私は、この経験を通して信じられるようになった。

    私は、運命を信じている。
    大袋8つも、その運命に従順に従った結果なんだ。
    さて、もうすぐ60歳になる。
    どう生きようか。クマさん。
    これからば、きっと本物の人生になるはずだよ。

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