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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/09/09 07:18:39

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    Sさんへの手紙

    私は、暗夜に幽かなる光を認めて、
    ひたすらに荊榛の野を進んだのである。
    岐路に入った所もあらう迷路をさまようた所もあらう。
    唯、私は、私の踏み歩いた道筋を述べて、
    同学の士の教えを乞うのみである。

    私の考は漸次に発展したものであるから、
    すべて前の論文は後の論文によって補正すべきものである。
    此の書を書き終わって、
    更に又私の考の明らかにすべきもの、
    正すべきものの多きを自覚せざるを得ない。

    西田幾太郎


    一生下級の教師に甘んじて厚く道を養い、深く学を研む。
    断じて余事を顧みず。
    深く蔵してみだりに動かず、
    周囲の出来事にかれこれ考ふる様にては、
    大事をなす能わず。
    人は馬鹿正直にあらざれば道を成す能わず。


    Sさん、西田博士からのSさんへの言葉です。
    やっばり遺すべきは、真実の言葉ですね。

    2人の不思議で生きるの対話の中に、この言葉が蘇りました。
    いつまでも朽ちないものが、言葉ですね。

    私もそれを探します。
    Sさんは、それを遺してくださいね。
    それが、天から与えられた使命だと信じています。

    言葉を継いで、遺しましよう。
    それが、Sさんの森ですね。
    きっとその言葉は、
    今、ここで、私が出会ったように、
    百年後に小千谷の誰かが出会う言葉です。

    みんなメールが、今朝、小千谷のSさんから届いていた。
    寝ぼけ眼で読んでいるうちに、
    何だか心が正されるような素直な気持ちににれた。
    それは、その西田さんの言葉によって、
    はっと改めて何か大事なことに気付かせられたからだと感じた。

    これが、真実の言葉の持つ力だった。
    その力が、読んでいる私にぐっと迫って来る。
    そして、その言葉が、私の生き方そのものを明らかにしてくれる。
    それは、きっと道であろう。

    岐路に入った所もあらう迷路をさまようた所もあらう。
    私も、やっぱりとぼとぼと歩いて来たし、歩いている。

    この道を行け。この道を歩け。そういうことではないだろうか。

    私は、暗夜に幽かなる光を認めて、
    ひたすらに荊榛の野を進んだのである。
    岐路に入った所もあらう迷路をさまようた所もあらう。


    それは、私自身のことだった。
    だから、きっと、どう歩いたらよいのか、考えたのだと想うし、
    深く深く自分自身に訪ねていたのだった。
    そして、Sさんに気付いた言葉を送り、
    Sさんに尋ね、聴き、その歩みを味わってもらってきた。
    言葉とは、その人のその人としての生き方そのもの、
    あるがままではないだろうか。

    唯、私は、私の踏み歩いた道筋を述べて、
    同学の士の教えを乞うのみである。

    そして、いつもいつも歩きながら考えた。
    内から生まれる「問い」に向き合って、その答えを求めて生きた。
    すると、どんどん変化する自分自身を発見した。
    つまり、人は、変わるものだし、変わらなければならないものなんだと。
    だから、私は、今、ここでの気付きや感動しか書けないし、書かなくなった。
    その今、ここを、私が納得し、腑に落とすために、この言葉はあった。
    書くということは、観つけるということだった。

    私の考は漸次に発展したものであるから、
    すべて前の論文は後の論文によって補正すべきものである。
    此の書を書き終わって、
    更に又私の考の明らかにすべきもの、
    正すべきものの多きを自覚せざるを得ない。

    一生下級の教師に甘んじて厚く道を養い、深く学を研む。
    断じて余事を顧みず。

    本当に、この通りでしかない人生だったな。
    欲はなくではなくて、そうはなりたくなかったので、きっとそうした。
    そうしたことについては、何一つ後悔もなかった。
    ただ、深く深く学を究めたかととうと、
    まだまだやれたのかもとも感ずる。
    でも、我が事において後悔せずだ。
    ただ、私は、与えられ、許されて来た大道をふらふらしながら歩いて来たし、
    きっとどこでも、いつでも、その立ち位置はど真ん中だったと想っている。

    深く蔵してみだりに動かず、
    周囲の出来事にかれこれ考ふる様にては、
    大事をなす能わず。

    60歳にして、やっとこれができるようになった。
    人が何と言っても、それはあくまでもその人の考え、生き方。
    俺が、俺がの人とは、ずっと離れて平安に暮らす。
    その人は、絶対に変わりようがないのだから、
    私は、かかわらない。
    みんなの意見でそうなったのなら、そうしよう。
    私の意見は、後、後。
    ただ、静かに、深く、考えよう。想い続けよう。
    そうすると、その想いは必ず実現して来たではないか。


    人は馬鹿正直にあらざれば道を成す能わず。

    これは、本当だ。
    今は損得ばかりの人が多くなり、
    こうして生きている人が希な世の中になってしまった。
    今も世の中で求められている人とは、
    この馬鹿正直な人ではないか。
    それは、賢治さんがいっも物語で語っていることだった。
    どうして、人は馬鹿正直に生きられなくなってしまったのだろう。

    2人の不思議で生きるの対話の中に、この言葉が蘇りました。
    いつまでも朽ちないものが、言葉ですね。

    そうだったよなぁ。
    Sさんとは、いつもあるがままの言葉を語り合っていたな。
    造り物は語らない。
    身体が喜び、心地よい言葉だけを語る。
    今、ここにある気持ちだけを語る。
    まさに、ここにある「吾」を「言う」だった。

    ここまで読んで、はっと気づいた。
    何だ、この文は、私がSさんに送った言葉だったと。
    不思議なんだが、そのことをすっかり忘れていた。
    というよりか、とてもとても新鮮に、深く、感動をもって、
    この西田さんの言葉と向き合えている自分がそこに居た。

    ああ、そうなんだ。
    やっぱり人は、日々新たなりなんだ。

    言葉を継いで、遺しましよう。
    それが、Sさんの森ですね。
    きっとその言葉は、
    今、ここで、私が出会ったように、
    百年後に小千谷の誰かが出会う言葉です。

    そうでしたね。Sさん。
    やっぱり私たちにできることは、言葉を遺すことだけですね。
    それを受け継いでもらえたら、本望ですね。
    西田さんは、ここに生きていますね。
    それを、私たちが受け継ぎましよう。

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