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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/09/18 06:38:09

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    太鼓は仏性だ

    祭りが終わった。
    「祭りの後」だ。
    たった今、台風がすごい唸りを立てて通り過ぎた。
    コスモスの鉢が猛烈な風で倒れていた。
    今、風の音が遠くなった。
    「天上大風」高い高い彼方の空で、風は鳴っている。

    さて、祭りだ。
    太鼓とは、仏の道と観つけたり。
    そんなことを感じ、リアルに実感ができた祭りだった。
    三年ぶりの参加だった。
    昨年は、腹筋を縫い付けたばかりで繋がっていなかったので、不参加だった。
    それでも、今年の祭りには身体の方が間に合ってくれた。
    またまだがちがちで、傷跡を見たら、みんなぞっとするだろうが、
    蘇生し、回復途上でもあが、太鼓を叩くことができたのだった。

    師匠の音は、仏性の現れだ。
    とにかく、「なっていない」「だめだ、だめた」とやっつけられる。
    ところが、そんな会話も気持ちいい。
    何故なら、私とっては師匠の音こそが求める音であり、
    仏のリアルな姿と音である。、
    だから、少しでも、ほんのわずかでも、その音そのものに近づきたいと願っている。

    音は、ここにある。
    そして、その音は、私自身の身体にも沁み込んでいる。
    だから、うまくないんだな。
    自分の音と師匠の音との明らかな違いを、
    一番感じているのは叩いている、私本人だ。
    だから、問いなんだ。試行錯誤なんだ。どうすればの煩悩なんだ。
    そう生きようとしながらも、そう生きられない哀れな私。

    そんなどうにもならない私を、師匠は見捨てない。
    「免状なんか、まだまだ、ぜってだめらな」と、はっきりと言う。
    それもみんなで飲んでいるその席で、引導を渡す。
    私は、それを聴くと何だか、何だか、嬉しくもなる。
    本当に見込みのない者になら、そんな厳しい言葉を言わないからだ。
    首皮一枚。紙一重。ほんの僅か。
    しかし、その違いは甚だ大きく、「それではない」と、はっきり言われる。

    集結した時、太鼓を並べて叩きあった。
    凄い響きだ。腹にずどんと響いて来る。
    ああ、負けだなあ。どうにもならないなぁ。はっきりしてるなぁ。
    そんなことを想っても、こんちくしょうと叩き続けた。
    終わったら、師匠は、ただ黙っていた。
    町内の人に、「クマさん、負けたね。はっきり分かったれ」と言われた。
    いつもいつも完敗だった。
    何年たってもその腕の差は、何も変わっていなかった。

    その音に成り切れない私。
    哀しいけれど、今年の祭りはここで終わった。
    ただし、収穫は大きくもあった。

    「守破離」だ。
    私は、「離」とは、師匠の音から離れて独自な音を創造すると勘違いしていた。
    実は、「離」とは、「守」・「則」に還ることなんだ。
    離れるのは、我儘な自分から、離れよとのこと。
    つまり、自分を捨てて、その音に成り切れとのことだった。

    「雑念を一切捨てて、音に成り切る」
    それは「音声」そのものだ。お経と一つになって自己を忘れる。
    今年から太鼓を始めた小5の男子がいた。
    聴くたびにうまくなり、何だか私を超えそうな勢いだった。
    彼に言った。「叩き続ける。雑念を捨てる。ただ、音に成る」と。
    禅問答のようなこの言葉を、彼はリアルに受け止めていた。

    それは、彼が太鼓に魅せられ、没我の境地で、
    夢中で叩く入り口にさしかかっているからだ。
    太鼓は、身体全体で叩くものだ。
    彼は、そうやって叩いているから、この言葉を身体で合点できる。
    こんな白髪親父の言葉が腑に落ちる。
    それもまた太鼓の大事な感性の1つだった。

    私は、ずっと子ども太鼓につきっきりだった。
    この男の子や女の子たちが、ずっとずっと太鼓を続けてくれることを祈っている。
    今、ここで、太鼓を叩く楽しさを十二分に味わってもらいたい。
    確かに、今は、とつとつとおぼつかなくても、
    十年後には、一番太鼓を叩けるまでに腕をきっと挙げているはずだ。
    太鼓の音は、仏性である。
    その仏性が、この子どもたち独り独りに輝いていた。

    これも全て、その仏性を体現している偉大なる二人の師匠のおかげさまだ。
    ああなりたい。でも、まだまだ修行が足りない。難しい。
    まさに、それは至難の業だった。
    「まだまだ」「へたらなぁ」「だめ、だめ」のお叱りの声が、
    この台風の風の中から今も聴こえる。

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