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  • from: クマドンさん

    2017/11/08 06:23:25

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    「しまや」の究極親子丼

    毎週土曜日に、新潟駅前で勉強していて、何が楽しみかと言うと、
    ランチタイムだった。
    私の職場は、昼食では外で食べるというわけにはいかなかった。
    だから、たまの出張でランチを食べられることが、とても新鮮で嬉しかった。
    昼にどの店で、何を食べようかと選択することの喜びは、
    毎日ランチを食べている人には分からない喜びだろう。

    7月、この研修が始まってから、
    私は、駅前近辺をぐるりと歩いて、めぼしい店を見つけて置いた。
    今週はどこの店に行ってみるか。
    何を食べてみようかと、その楽しみをもって昼を迎える。

    たった45分間のランチタイムだった。
    移動と食事時間を考えると徒歩10分が限度だった。
    遅刻はご法度。これが厳しい。
    そうやって毎回、あちらこちらを尋ね歩いた。
    この10月で閉店になった老舗のとんかつ屋さんにもお世話になった。
    カウンターに並べられてあるおかずとお惣菜とをチョイスする店もあった。
    隣で生ビールを美味しそうに飲んでいる人の真ん中でタレかつ丼を食べたこともある。

    しかし、やっぱり究極の味は、万代町「しまや」の極上親子丼だろう。
    何も予備知識もなく、この店に入り、カウンターに座った。
    メニューを観て驚いた。親子丼の専門店だった。
    「極上」という名にそそられて、それを注文した。
    味噌汁・小鉢がついて800円だった。

    大きな塗りの丼の蓋を開けて、驚いた。
    その鳥ととろとろ卵の香りと、なめらかな琥珀色の輝きに、
    食欲が溢れて来るのを感じた。

    私の身体は、本当に正直な身体で、
    美味いものを食べると、その美味さに感応して、敏感に反応する。
    それは、私の意志や意図を越えている。
    まず、味わう、すると、どんと感じる。
    身体から「うまい」という唸り声が聴こえる。
    身体が喜ぶ。身体が歓喜する。
    それが、美味いの証明でもあった。

    あの太威の担々麺の時のように、この極上親子丼は、
    私は身体が芯から喜び、感動していた。
    半熟にもならないとろとろの卵の甘い味わいと、
    この鶏肉たちの甘辛で柔らかな食感の絶妙なハーモニー。
    そこに、山椒や一味や七味をかける。
    これがまた、美味いの何のと言ったら・・・・。
    ああ、こうしていても食べたくなる逸品だった。

    その内に、私のランチのお店は、「しまや」に限定された。
    他所に行って、期待外れの味と出会いたくはないからだ。
    信頼のおける味。期待通りの感動的を味わえる店。
    味わうということは、生きるということの中での最上級の喜びでもある。
    こんな丼一つで、私は至極幸せな気持ちに人はなれる。
    人は、幸せになるために生きているのならば、
    しまやの親子丼は、その実感をほんの短時間で味わわせてくれるはずだ。

    「身体が、味わう」
    「身体で、味わう」
    「味わって、深くで感応する」
    「身体の感応は、身体の喜び」
    「人は、深く味わうことで、生きている実感を感ずるものだ」
    「身体が認めたものだけが、本当の真実」
    「在るものと出会うことこそ、人生を生きる喜び」

    そして、そんなに美味すぎる逸品を、料理して創り上げる職人の技。
    その究極の美味さへの自信と誇りがなかったら、
    「極上」とは、その名前には付けないはずだ。
    まだ30代だろうか、物静かな料理人の真摯な姿に、
    私は、いつもいつも爽やかな職人魂も感じている。
    だから、また、ランチにはその店のカウンターに座る。

    レバー丼も、美味かったなぁ。
    身体に遺る味わいとでも言うのか、その味と食感とは今も、ここにある。
    先日は定食で、マーボウ豆腐だった。これがまた絶品の大人味の辛さなんだな。
    その味は、全て、その料理長が決めている。
    「これだ」と言う、その「これだ」しか造らない。

    その味はそれまでは、この世のどこにも存在しない味であったが、
    彼の手によって、彼の舌によって、この世に姿を現した味である。
    彼は、その味が姿を現すために、ここに生きている。
    その使命感を実感としているから、
    彼はたった一つの丼にも手を抜かない。
    だから、時には20分間も待つことがある。
    それでも、急がない。只管、求める味と向かい合う。

    先日、驚いたことがある。
    私の極上の親子丼ができて厨房のカウンターの上にあるのに、
    その丼はそこに暫く置かれたまま運ばれなかった。
    私は、少々遅刻しそうなので焦っていたが、その丼は届けられなかった。
    すると、サブのチーフがその丼の蓋を開けて、何かを確かめて合図した。
    そしたら、着物の若い女性が、そのお盆をもって私の所にさっと運んだ。
    つまり、その親子丼のさまれる感じを、待っていたようなのだ。
    繊細な卵の緩さととろとろ感を、こうした工夫で出していた。
    感動だったな。

    私にとって、美味いものとは、深いものだ。
    その深さを私自身の身体が感じられる時、
    その出会いはまさに至福の出会いだった。

    美味いものをこうして、究極の味にまで究める職人さんがいる。
    しかし、その味わいの本質を味わい、そのすごさを認められるお客がいないと、
    やっぱりせっかくの料理も、意味をなさないこととなる。
    美味いものは、職人の手でこの世に創造される。
    そして、お客である私の身体は、深くでその美味さを味わうことを待っている。

    その親子丼が、親子丼ではなくて、「言葉」だったらどうだろうか。
    昨日ASLで亡くなった篠沢教授のトセキメンタリーを観ていて、
    何だか、この親子丼と教授の生き方そのものが一つになった気がした。
    そのことを書きたかったが、今日は、もうゴミ捨ての時刻となった。

    万代町「しまや」究極の親子丼のお店だ。
    一度、騙されたと想ってご賞味あれ。
    身体が深くで感動し、喜ぶことをきっと発見するだろう。

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