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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/11/10 06:33:57

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    意味の現れに

    腰が痛い。
    正確に言うと、腰の辺りの筋肉が痛む。
    立ったり、捻ったりすると痛みを感ずる。
    スケートの後遺症だ。
    中腰の無理な姿勢でおっかなびっくり滑っていた。
    そのために、日ごろと違う負荷かがかかり、筋肉が悲鳴を上げた。
    五日目。まだ治らない。

    毎日毎日、眠くて、眠くてだった。
    それはそうだろう。3時半には目が覚める。
    それから、スタンドをつけて、腹這いになって本を読む。
    5時には起きだして、ストレッチをする。
    睡眠時間が5時間くらいなために、
    慢性的な睡眠不足だ。
    昨夜は電話で2時半に起こされた。
    今朝は、全く起きられず、5時半だった。
    そして、今も眠たくて、眠たくて、疲れがどっと残っている。

    一週間に二日の休酒を決めた。
    しかし、「今日はいいよ」「今日は疲れたよ」と、
    何だか飲むための理由だけが頭に浮かぶ。
    あの激烈な痛みと高熱とをもうすっかりと忘れてしまったのか、
    定量だが、ほんの少しでも酒を入れる。
    ついついと手が出てしまう。
    肝臓はやっぱり我慢しながら、そんな私の愚かさを耐えている。
    そのことは、重々承知なのだが、飲んでしまう。
    アルコール依存症だなぁと、何だか自分が情けない。

    身体は正直に反応している。
    朝、辛くなっているために、
    出勤時刻が20分間遅くなった。
    朝早く、出勤することを、あの日からぱたりと止めた。
    身体の疲れがとれていない。
    何だか身体を動かすことがおっくうだ。
    ゆっくりと朝食を食べていたい。
    身体が何だか楽な方へと向いている。

    これが、今、私の身体が語っている言葉だった。
    身体は、何も言わない。何も言えない。
    ただ、私が、こうして身体に耳をすますと、
    そうなんだなぁという状況に、身体の語る意味を察する。
    それは、身体そのものが発信する、意味だった。
    しかし、それを「意味」として理解するためには、
    自分の身体の変化に対する気付きが必要だ。

    この日々の無理なる生活に、少々悲鳴を上げている。
    水曜日の北区の合唱での帰宅が10時過ぎだったことも響いていた。
    一つ一つの積み重ねの中から、
    ちゃんと身体は、善き方に修正されるように、
    そろそろ「休養」だと、しっかりとサインを出していた。

    「ゆっくりと眠ること」
    「しっかりと休養をとること」
    「酒を飲まないこと」
    「過度な運動はしないこと」

    それを、こうして言葉にすることで、
    初めて身体の発するサインは、「意味」として私はとらえられる。
    つまり、全てのものは「意味」を発して存在しているのだが、
    その「意味」を「意味」として理解するためには、
    その発せられたサインを、「言葉化」する必要があるということだ。

    確かに、はっと気付くことがある。
    しかし、その気付きを「意味」に現さなかったら、
    それは、一瞬の一過性の気付きでしか過ぎなくなる。
    そこで、それを「こうなんだ」「こうではないか」と言葉に現す。
    すると、その目に見えず、音にも聴こえなかったそれが、
    ここに姿を現す。
    それも、「意味」として、深く深く私に語りかけるものとして。

    ただ、そこで、問題になることは、
    せっかくその「意味」を理解しても、
    その「意味」が教える生き方を、
    自分自身が行っているかという言うことだった。

    天は、そんな私に突然のクライシスを与えた。
    あのペインは、私に何かを悟らされるためのチャンスでもあった。
    そこでだな。
    そう悟ったなら、そう行えなんだな。

    「生きるとは、何か」
    その「意味」を持たずに生きているものは一つも存在していない。
    ならば、その自分の「意味」に気付き、その「意味」を理解し、
    その生き方を学んだならば、
    そのままに「生きる」ことだけが、「生きる」ということになる。

    では、そのままを生きているか。

    それが、実に実に難しい。

    生きるとは、その意味の現れとなることだ。

    さて、身体の語る「意味」を私は、実践できるだろうか。
    それは、まさに仏教が教える六道ではないだろうか。

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