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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/11/12 07:06:27

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    アグリカルチャー?

    休酒ができていない。情けないなぁと、自分を想う。
    それでも、やっぱり酒を飲みたい。
    疲れると尚更だった。
    長生きは無理なような気もしてきたな。

    金曜日の夜は、井戸端会議だった。
    ここで語られる大人の話が大好きだ。
    1人1人がその想いを語る時、
    深いところで共鳴し、共感する。
    みんな違っているのだが、
    何だか目指す方向が一緒なんだな。
    同朋と呼べる仲間がいる。
    そんな感じだ。

    何かをやろうとしている人たちの話には勢いがある。
    また、何かを造り出そうとしている人たちの笑顔がいい。
    今は、まだない。
    でも、これからみんなの力で創り出せば、それは現れる。
    そしたら、そのことをみんなで力を合わせて続ければいい。
    まず、誰かがやり始めることだ。

    修正とは、やりながら、歩きながらすることだ。
    やるまえから、それは無理だと言ってしまったら、
    きっと何にもやらずに終わる。
    我が町内会の10年間が、それだった。
    だから、今は、何も無い。
    受け継ぐものが何も無い。
    見事に何もしてこなかった。
    何かを始めることに臆病になってしまっては、何も先には進まないからだ。

    今年中に始めたいことがある。
    それは大山台の畑だった。
    アグリカルチャーだ。
    ここを、みんなの畑に出来たらどんなに素敵なことだろうか。
    生業があることで、生き甲斐が生まれる。
    身体を動かし、汗を流すことで、身体が喜ぶ。
    何よりも収穫が在る。
    ほんの細やかでも、その大根一本、トマト一個が家計の足しになる。
    自分で造った作物を、自分で食することは、
    これはこれで大いなる喜びだった。

    みんなの畑の収穫物は、みんなのものだ。
    みんなの協働で育てられた命であるなら、
    その命をみんなの命に還元することは、
    当たり前のことだと考える。
    そんな畑が地域にあってもいいではないか。

    水をやれる人は、水をやる。
    草をとる人は、草をとる。
    支柱を立てる人は、支柱を立てる。
    肥料をやる人は、肥料をやる。
    収穫する人は、収穫をする。
    そして、収穫したものをみんなで分けあって、それをいただく。
    それを食する。

    その生業が、自分の住んでいる地域にはある。
    その生業によって、命を育てる喜びを感じ、
    同じように違って生きた来た人たちと、その畑で出会う。
    「井戸端」のようにして、「畑端」になればいい。
    それが「縁側」となり、「囲炉裏」となるかもだ。
    本当にそうなんだな。
    地域には何気なく人が集まり、立ち話をしたり、お茶を飲んだり、
    何ともどうでもいい話をしながら、笑顔で語り、さよならと別れる。
    そんな広場のような場所が必要だった。

    昔の地域社会には、それはあったようだ。
    しかし、今の私たちの地域には、
    それは意図的に意識して創らない限り存在しない。
    いつの間にかなくなっていた。
    いつの間にかそんな面倒なものは必要ではないと感じ始めていた。
    そして、自分の家だけ、家族だけで、何とかやれると錯覚を起こした。
    しかし、そうではなかった。
    互助の大事さを、老いと、病と、死を前にしてよくよく感じた。

    ああ、独りぼっちだなぁ。と。

    独りで生まれて、独りで死ぬ。
    それは、了解しました。分かりました。そうしますだ。
    でも、日々、この平穏なる日常生活の中で、
    ほんの細やかな喜びや幸福感とは、
    やっぱりほんのちょっとでいい、
    誰か他の人と言葉を交わし、
    心を交わすそのことにあるのではないだろうか。

    井戸端がそうだった。
    ほっとする。心が穏やかになる。嬉しい気持ちになる。ああよかったと想う。
    それは、参加した人生の大先輩たちもきっとそう想うから集合するのだ。

    人は、人の傍らで生きていることが、安心なんだな。
    それも、威張った人ではなくて、優しい人の傍らだ。
    それだけで、ほっとする。生きられる。
    もう一つは、花や木や野菜たちだ。
    語り合うことはできないが、感じ合うことはできる友達だ。
    私は、畑のミニトマトによく話しかける。
    そこには、何だかお互いが分かり合える共通の想い・言葉があるような気がする。
    畑の作物には、祈りは届く。
    これは、畑で作物を育てた人には、よく分かるはずだ。

    畑とは、実は、そういう場所なんだ。

    そんな場所を身近な地域に造ることは、
    人がその自分の居場所・働き場所・生きがいの場所を造ることでもあった。
    自分独りではできることは限られているが、
    10人、20人と集まったら、何でもできるようになるはずだ。

    だから、私たちが今造ろうとしているのは、
    畑でもあり、単なる畑ではなかった。
    その受け継がれ、次の世代の人に伝えられるシステム・仕組みとでも言うのだろうか、
    地域で暮らす人と人とが自然に出合い、
    繋がれる機会・場としての畑なのだと、
    私は、想っている。

    アグリカルチャーの実践を、ここでする。
    きっとそれか当たり前の形になり、自然に流れるようになるまでは、
    5年、10年はかかると想う。
    しかし、それが地域に在る限り、私もここで生きて死ぬまでここに存在するのだから、
    気負わず、流れのままに任せながらも、
    何とかなると、気楽に考えている。

    まず、場所を決める。草を刈る。土を興す。それからだな。

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