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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/12/05 21:34:32

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    さてさて、阿頼耶識だ

    無意識を想い出す。
    その無意識を仏教では、「阿頼耶識」と言う。
    この阿頼耶識は、この世界が誕生する前からここにあり、
    この世界が滅した後にも、ここにあるそうだ。
    その無意識は、仏心・永遠のいのちと呼ばれている。

    私は、そこから生まれ。
    そこから生まれていないものはこの世には、一つとして存在していない。
    その雄大な大河のような流れの中で、
    過去どれだけの先祖によって創られた、「種子」(しゅじ)があることか。
    この種子こそ、私が生まれる種だった。
    その種子が、ある機縁と「業」とによって、人となる。
    それが、私。

    なのに、私は、生まれたとたんに、その過去の生を忘れる。
    全ての記憶は無意識の中に沈む。
    私は、私だと錯覚する。勘違いする。
    そのうちに、喜怒哀楽を感ずる。
    あれが欲しい、これが欲しいとだだをこねる。
    嘘をつく。人を騙す。人を傷つける。自分も傷つく、暗くなる。
    そうしてこの生を生きている内に、自分だと想う自分にになって行く。
    その自分とは「末那識」の自分でしかすぎない。

    そうして私は、業を積み、罪を犯す。
    自分勝手に我が物顔に生きる人となっていく。
    でも、しかし、その阿頼耶識はそのまま、生まれる前からここにある。
    それなのに、その存在に気付かないまま、業を生きる。
    それが、私。

    全ての人に、仏心があるのだから、
    こんな私にすら、その仏心は与えられ、恵まれているはず。
    いや、私は、その仏心という「種子」からしか生まれていないのだから、
    そうであるという事実・真実をただただ信ずればよい。
    「まず心があった」
    というその心とは、この仏心のことだった。

    そのことを忘れていた。
    そこといつでもひとつながりにつながっていられたら、
    心はきっと穏やかで、平安で喜びに満ちた気持ちでいられるだろう。
    そして、私は、いつかその種に還ると想えればそれでいい。
    次に生まれるためには、その種子を善き種子に育てなければならない。
    この世においての私の修業とは、
    きっとそのことだったのだろう。

    還るところは仏のいのちだ。
    そのことは、約束されている。
    だから、安心して、徳を積めば、それでいい。
    きっと善いことをするために、私になったのだから、それだけをすればいい。

    「いまだ世界あらざるに、早くこの性あり。
    世界壊するとき、この性壊せず。
    老僧一見してより後、さらにこれ別人ならず。
    ただこれ箇の主人公、者箇さらに外に向かって覓めてなにかせん。
    与もの時、頭を転じ、面を換えて即ち失却するなかれ」

    趙州語録より

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