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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/12/11 06:15:39

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    小さな第一歩

    1年と5カ月ぶり。
    昨日の夕方、北区のスポーツセンターで、ランニングだった。
    腹腔ヘルニアの手術をしてから、
    一切の運動を医師から止められた。
    歩くことはできる。
    ただ、走ったり、自転車に乗ったり、重い物を持ったりしてはいけない。
    無理をするとせっかく縫い合わせた腹筋が裂けてしまうからだ。

    過酷な条件だったな。
    あれだけ、毎朝4~6キロをジョギングし、
    休日には10キロ以上のLSDだったのに、
    その私が走れない。
    さてさて、どうするか・・・・。
    それで、私は、庭仕事に専念するようになった。
    花を育てるようになった。
    何がどうなるか、分からないのがこの人生だ。

    できなくなったことを数えて、悔やんでいても始まらない。
    そのひとは、入院中にやっと歩けるようになった時に感じた。
    午前と午後の2回の病院の廊下の散歩。
    点滴棒を右手に、恐る恐る足を引きずりながらだった。
    折り返し点で、休まないと、病室にはたどり着けなかった。
    一度は動けなくなり、違う病棟の看護師さんに車椅子に乗せてもらった。

    そんな過酷な日々から考えたら、
    走れない、自転車に乗れない、重い物は持てないなんて、
    どうってことのないことだった。
    こうして歩ける。移動できる。好きな時、好きな場所に行ける。
    それだけでありがたかった。

    椎間板ヘルニアでの坐骨神経痛の地獄を味わったのは、今年の3月だ。
    布団の中で仰向けに寝たまま、絶対に起きることはできなかった。
    ちょっとでも動けばうめき声をあげての、激痛だった。
    四つん這いになっての食事。
    キャスター付きの椅子にもたれかかって、トイレに行った。
    そんなことから考えたら、
    こうして歩けるだけでも、何とも幸せな日々なんだな。

    昨日は、やっと走るだけの勇気が出て来た。
    諦めていると言うよりか、走ることが少し怖かったというべきかな。
    まだ繋がる途上の腹筋と、爆弾を抱えている腰痛と、
    何とも満身創痍のこの身体だった。
    だから、ランニングコースに出たら、緊張したな。
    まず、ゆっくりとゆっくりと歩き始めた。
    そして、3周あるいてから、ゆっくりとジョグに変えた。
    走れるが、左足を着くたびに、左臀部に痛み在り。
    またまだ、完治は程遠いようだな。

    それでも、10周、1500mだった。20分近くもかかっている。
    かっては、10キロ56分間での完走だった。
    しかし、今、この身体で、そのことを想っても致し方なしだ。

    まず、今、ここに、足るを知る。
    窓の外には、飯豊連峰の真っ白な雄大な姿が見えた。
    ああ、あそこに私の師匠がいるなぁと、ありがたかった。
    山はここに在る。
    山はいつでも待っている。
    その飯豊連峰に励まされて、復活のジョギングを昨日できた。
    また、この一歩からだ。

    私の師匠のKさんに言われた。
    「クマさん、70歳までの10年間何て、あっと言う間だよ」
    「だから、何をやるかよく考えて、そのことをしっかりとやることだよ」
    「私は、何をやってきたのか、ふと想ったよ。」

    そうですね。
    その言葉を忘れずに、その第一歩を昨日、私は、始めた。

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