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from: クマドンさん
2017/12/16 12:20:23
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叔母さん、ありがとうございました。
98歳。東京の叔母さんが亡くなった。
その通夜に叔母たち3人と従兄の運転で高速で向かった。
東京まで車での5時間は、とても在り難い時間だった。
5人の年齢を平均すると75歳。
本当に叔母たちは、車の後ろで「これが最後だね」と何度も言った。
実感だな。
また、叔母たちの姉妹が独り旅立ったのだから。
私が38年前、東京で暮らしたとき、本当に貧乏だった。
金が無いんだな。
仕送りは不定期だった。
その代わり山ノ下納豆や米や味噌の現物を母は送ってくれた。
目黒で八百屋をしている叔母さんの所には、
お金がないと、バスに乗って出かけたものだ。
お店の手伝いをさせてもらい、
ご飯を食べさせてもらい、
帰りに必ず小遣いをもらった。
その頃小さかった姪っ子たちが、みんな美人の奥様方だ。
あの時の、あの子たちが、こんなにも素敵な女性に変身している。
まさに、蛹から蝶が生まれたような気分だ。
その子たちが私を、あの頃の呼び名で呼んでくれる。
「くまちゃん、くまちゃん」だ。
還暦のお年寄りを、「ちゃん」づけて呼んでくれる。
叔母たちも、従兄たちも同じだ。
ここに来ると、あの時代のまんまの私がいるような気がする。
とにかく働き者の叔母さんだった。
家事を一手に引き受けて、家にいる時はじっとしている姿を見たことが無い。
いつも洗濯、掃除、御勝手仕事と、割烹着を着てせっせせっせだった。
きれい好きで、しっかりしている叔母さんだから、
だらしないことが大嫌い。
私なんかもぴしゃりと叱られたことが何度もあった。
子どもたちを愛して、孫たちを愛した。
本当に家族の為に身を粉にして、働いた人だった。
「利他」という言葉しか思い浮かばない生涯だった。
叔母さんは、その生き方を教えてくれたような気がしている。
「利他行」とでも言うのだろうか。
その生き方こそ、人が人としてこの世に生まれて来た本来の姿なんだ。
ただ、そのことに気付かず、そのことをしないまま、
この世から去る人があまりにも多い世の中であることも察している。
歳をとればとるほど。欲が生まれ、自分だけがよければそれでいい。
正直者は馬鹿をみる。
そんな損な生き方を私はしない。かな。
哀しいけれど、そこで人は、我儘な道を歩き始める。勘違いする。
気付かないで、終わる。
そのことは、とてもとても残念でならないことだ。
しかし、私の叔母たちも、従兄たちも、姪たちも、
そんな叔母の生きたかのように、「利他」をそれぞれが感じて生きている。
だから、気持ちよくお互いに語り合える。
40年近い歳月の中で、それぞれがそれぞれの人生の試練を受け、
悲しみと孤独と束の間の喜びの洗礼を受けている。
「人に言えないことのない人は、誰も居ない」
「みんなそれぞれ哀しみと辛さと後悔とを重ねてもっている」
「ただ、そのことを言わないし、現さないだけなんだ」と、
今は、私はそう想うし、叔母たちにも言っている。
叔母たちも「そうだね」と、言ってくれる。
私が感じた哀しさや辛さや孤独感は、
みんなが感じているそれでしかすぎない。
そのことを改めて、私は従兄たちと語りながら、気付くことができた。
出会いだよなぁと、そう想う。
クマ家の長女であった叔母さんが、東京の八百屋の主と結婚した。
そして、その次女である叔母も見合いさせられ、目黒の八百屋の女将さんになった。
そこに4人の男の子が生まれ、
その子たちの子どもたちが孫として、その家の宝として育てられた。
その頃、新潟から親戚のうだつの上がらない貧乏学生がやって来る。
大都会の生活に戸惑い、翻弄され、孤独を感じながらも生きていた。
その心のよりどころが、この叔母たちの家だった。
そして、そこで過ごした4年間が何よりの心のよりどころであり、安らぎだった。
みんな、みんな、優しく、親切で、よい人たちだった。
そのことが何よりも在り難く感じる。
そうした人たちとこの世で出会えたことだけでも、
生きていることに対しての大いなる感謝だった。
酷い人も、根性の悪い人も、人を馬鹿にする人も、人をこきおろす人もいない。
気持ちよくただお互いに語り合えることは、
何よりもの天恵だと、こうした親戚の集まりではいつも感ずる。
この人たちと親戚であって、よかった。
それは、亡くなった叔母だけでなく、その叔母の母である曾祖母にも、
やはり深く深くの感謝だった。
そう考えたら、その曾祖母を生んだ母にも、また、その母にも、
ずっとずっと感謝ではないだろうか。
ここに到ったのは、私のせいでは全くない。
みんな先人・前人の人たちの恵みのおかげさまなんだな。
だから、私もよき種を受け継がねばならない。
その途中・途上にきっと私は、生きている。生かされている。
では、どんな種を次の人たちに受け継いで行けるかは、
これからの私の人生によるようだ。
願わくは「利他」の生き方を貫けるように、
弱く愚かな私は神様に祈っている。
骨を骨壺に入れて持ち帰り、みんなで昼食を食べて居る時、
息子であるJさんが、しみじみと母を独りで想いの中で味わっていた。
私は、何だか突然、叔母の笑顔とあの声とを想い出された。
すると、ぐっと込み上げて来て、どうにもならなくなった。
深い涙を、あの席で流されて、よかった。
その呼びかけと、その笑顔とは、今、ここにも、ある。-
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