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from: クマドンさん
2017/12/17 06:40:27
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変わることは、自然なこと
風が強く吹いている。
木枯らしの音が、何だか寂しい。
今朝は、我が家で私独りだ。
こんな日もあるんだ。
時間が流れれば、その人の置かれている環境も変わる。
昨日、Sさんと語り合っていて、やっぱり気付いたことはそれだった。
「変わる」ことの、当り前さ。
「変わらないもの」は、一つとしてないんだ。
この季節は、そのことを教えてくれる。
ただし、またぐるりと一回りすると、原点に戻っている。
どこを起点にするかだ。
春は、この木枯らしの中でも確実に育てられているはず。
だから、時間の流れに任せて生きる。
じたばたしないで、そのまんまを信ずる。
そのことを信じられたら、生きていけるのではないだろうか。
自分でどうにかしようとは、想わなくなった。
いい加減でいいと、想えるようになった。
皆の中で黙ったままで居られるようになった。
どうにかなるさと、諦められるようにもなった。
大丈夫。大丈夫。何とかなるさと、
人にも自分にも言ってやれるようになった。
それって、何だろうなぁ。
何かをきっと手放したから、諦めたから、まぁいいかと想われたから、
そうやって生きていられるようになったのかもと想っている。
人とは、たたがしれた存在だ。
でも、その奥深くで、とてつもなく大いなるものと繋がっている存在でもある。
自分はとてもとてもちっぽけでも、
その大いなるものは、何も変わらず、ずっすとずっとそのまんまで在り続ける。
きっと私もそこから生まれて、そこに還るのだと想っている。
だから、安心なんだな。
手放せば、満てるということ。
主体変容は、やっぱり真実でしたと、Sさんと語った。
私は、その現れとしての私であり、変化する私である。
しかし、主体である大いなるものはそのまんまで、
ずっとずっと存在し続ける。
在り続ける。
そのたった一つの、ちっぽけで、細やかな現れが私だ。
しかし、その私は、自覚する私でもある。
覚悟を決める私でもある。
祈り、感謝し、自分のために生きる私でもある。
そうやってこれからもずっと生きていたいものだ。
私は、そこから生まれて来た。
だから、きっとそこに還る。
では、そことは、何か。
在るのにどうして人は、気付かないのでしょうと、Sさんとの共感だ。
ある年、ある時、時熟だった。
そこに至った時、言葉が現れる。
体感を通しのみ、言葉が言葉としてやっと腑に落ちる。
そうだったのか。
やっと自分自身の意味が分かる。
全てのものには、意味が在る。
しかし、その意味は、体感を通してしか理解できない。
ここに意味として存在していながら、
その意味そのものに気付かないで生きている。
たった「味わう」という言葉に出会うのに、
この歳までかかってしまったのは、私だ。
今は、ここで、その生きるの「意味」を味わいたいと願っている。
今日、北区の合唱祭で、歌う。
歌は、私には向こうから贈られたものだった。
いつか歌を歌う人となり、
ずっとどこかで歌を歌っていた。
歌は、私にとっての喜びであり、生きている瞬間であるかもしれない。
午後2時、ステージの上で歌っている。
あの「春のホタル」の舞台だった。
続けていると、こうして恵みを与えられる。
続けることだ。
ゆっくりと、焦らずに、何も期待せず、ただ淡々と。
さてさて、変わることは自然なんだと気付いたら、
それで何だか肩の荷がすーっと降りたような気がする。
変わってもいいのだし、変わっていくことが、生きるということ。
だから、今、ここだけを楽しめばいい。
歌は、今、ここだけしか存在しない歌でもあるからだ。
それを歌う。それを現す。
生きるということは、そうした今、ここの、現れなんだ。
だから、現れである私で生きたい。
現れでありたい。
木枯らしが吹く中、そんなことを考えている。-
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