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from: クマドンさん
2017/12/20 06:17:43
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たねの使命とは
「雲は天に在り 水は甕にあり」 薬山
さてさて、ふと想うことがある。
「ああ、そうだっんだ」「そういうことか」と。
そうしてぼうっとして、また、考える。
その時間って、何だかとてもわくわくと楽しい時間だ。
「たね」という言葉が想い浮かんだ。
そうだよな。みんな「たね」から生まれるよなぁだった。
「たね」から生まれないものは、一つもないな。
たねがやっぱり始まりだなと想ったら、
いや、待てよと気付いた。
この目の前のたねは、始まりのたねの訳がないということだ。
このたねは、このたねを生んだ草花から生まれたたねだ。
その草花とは、一粒のたねから生まれた草花だ。
しかし、その草花を生んだたねも、始まりではない。
やっぱり、そのたねの父と母である草花によって生まれたものだ。
それでは、そのたねの起源をどこまで遡って行ったら、
その始まりに出会うことができるのだろうか。
何万年・何億年・それとも、この宇宙の始まりの始まり。
その始まりから、命は、途切れたことが無い。
そして、秋になり、たねとなるとき、
そのたねは、一粒だけのたねではなく生まれる。
そのたねがここで生まれるまでにかかわった、
縁ある数多の季節を生き抜いて来た、ご先祖様が居るからだ。
このたねの身体は、そんな身体だ。
そこには、やっぱりそのたねをたねとして存在させる大いなるはたらきがある。
そのたった一粒のたねにすら、いや、たねだから、
ここに生まれた意味が在るのではないだろうか。
「一粒のたね、もし、地におちたならば」である。
たねから生まれたものには、次のたねを培う使命がある。
きっとその大いなる命のはたらきは、
その役割と責任とを、そのちっぽけなたねに託した。
しかし、いつも想う。
どうしてこうやっておおいなるはたらきに拠ってこの世に生まれ、
本当に疾風怒濤の数多の試練や苦悩を味わい、
悲しみと苦しみこそ、生きることなんだと、諦めたこともある私は、
それでもこうして生かされていることは、
どんな「意味」があるのかと。
しかし、そう思い悩み、問いの答えを求め続けている私は、
実は、そのおおいなるはたらきそのものなのに。
私であるのに、その私を知らず、気付かず、求めている。
私は、たねから生まれた私として、
そのまま、そのおおいなるはたらきに委ねて生かされるだけでいいのに、
何でこんなにじたばたと彷徨い、悩み、道を見失ってしまうのか。
そんな迷いの私と私が縁を切る時、
私と「分かれる」「分かつ」時、
本来の真面目が、「分かる」時となるのではないだろうか。
「分かれる」ことなくして、「分かる」ことなし。
そうか。そうだったのか。
「分かる」ためには、「分かつ」ことが必定だったんだな。
そうすることで、「無心」となれる。
そこにしか、このおおいなるはたらきははたらきとしてはたらかない。
ここにはたらきはちゃんと待機している。
私の機が熟すことを待っていてくれている。
私が動くのではなく、そのはたらきが動くのに任せるんだな。
うすることで、私はきっと花を咲かせ、その花が落ちる時、
そこには、次につながるたねが宿る。
そのたねは、父や母からのいのちの宿りであり、
その父や母からのいのちの宿りでもある。
そして、どれだけ遡ってもどうにもならないくらいの数多の命の、
そのたねは、宿りである。
だから、そのたねから生まれた私を信じよう。
そして、そのたねのままに自然体に生きるだけで、それでいい。
後は、衰え、枯れるだけ。
しかし、たねは、遺る。
そこにおおいなるはたらきによって託された使命がある。
「雲は天に在り 水は甕にある」 薬山-
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