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from: クマドンさん
2018/01/02 06:54:28
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義人を招くにあらず
2018年になった。
たった一日で、何かが変わる。
そのことは、新たな自分に還るためにも、
必要なことだと想っている。
変わり目。
きっかけ。
時熟。
そんな瞬間があるから、ありがたい。
「ああ、そうだったんだな」「やっぱり、こうして生きてみよう」。
そのきっかけを境にして、そんな自分を改めて見つめる。
そして、言葉と出逢う。
言葉は、用意されている。
言葉は、待ってくれている。
私が、その言葉になれるまで、言葉は傍らでじっと待っている。
そして、今、ここだというその時に、
向こうから顕れる。
どんと落ちる。ああそうだったんだと、深く肯く。
その言葉とは、初めてそこで出会った言葉ではない。
昔から知っていた言葉だ。
それが、やっとその意味が、経験によって私が深まるにつれて、
その言葉の重みそのものを、実感として、感ずる。分かる。
言葉は、私の魂の成長を、成熟を待っていてくれている。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」
パウロの言葉だ。
テサロニケの人たちに送った書簡に書かれている言葉だ。
この言葉と、新年に出会うことができた。
そしたら、その言葉のままを、今、ここで生きればいい。そう想った。
そう、願った。
言葉は、働きになる。
言葉は、促しになる。
言葉は、歩く道となる。
その真っ直ぐな道が、ここにある。
言葉は、私の道である。
私は、喜んでいようと想う。
どんな小さなことにでも、「よかった」「これでよかった」と感じたい。
例え、私にとっては痛みであり、試練であり、哀しみであろうとも、
そのことすら、そのことだから、喜べる私でありたい。
生きているということは、ままならないことと出会うことだ。
思い通りにならず、感情を乱すことも多い普段の生活。
その中でも、その中だからこそ、笑顔でいたい。
では、どうやったら笑顔でいられるか。
そのことを日々行える人になるために、一日がある。
祈りとは、繋がりである。
祈りとは、語りかけである。
祈りとは、聴きとどけられることの確信である。
祈りとは、語りかけに素直に従うことである。
祈りとは、聴くことである。
その深さからの呼びかけを、ただ静かに受け入れる。
祈るのは、誰か。
祈ろうとする私とは、いったい誰なのか。
でも、今、ここには、祈る私が生きている。
祈りとは、見守られている安心感だ。
「主と共に歩む」その信念だ。
真実存・私の無私・魂としての私。
そこからの呼びかけ、働きかけ、促し、気付きが、
生きるとは何かの問いに対する答えだった。
言葉によって、人は生かされる。
言葉が在るから、私にも存在そのものが実感できる。
そして、人は、その生き方によって、その言葉の顕れとなる。
その顕れとは、意味の顕れだ。
そのために、この道を真っ直ぐに歩くために、
祈りが在る。
祈りを忘れてはいけない。
絶えずの意味を考えて、ただいつも語り掛け、問いかける。
謙虚に私を低くする。
すると、この私に言葉が顕れる。
それは、種子が機縁を得て、発芽するようにものだった。
確かに、言葉が言葉として実感できるためには、
機は熟すまで待たねばならなかったようだ。
さてさて、だから、「ありがとうございました」を素直に言える。
この「ありがとう」の言葉は、自然そのものの言葉だった。
自然を生きる全てのものは、「ありがとう」だった。
きっと日々をただ「ありがとう」で生かされている。
それほど、日々の生きることの厳しさの中で、
そうやって想いをもって慈しんでもらい、
生きるための光を、気温を、水を、空気を、土を、与えられている。
あるがままとは、恵みの中での自覚そのもの。
「ああ、ありがたい」と、感動できる魂が、
自然のみんなに、全てのいのちには、与えられている。
そのことに気付かれるか、どうかで、生き方は違う。
恵まれているならば、感謝しかない。
それも、こんなにもどうにもならないちっぽけな私なのに、
こうして日々を恵みによって守られ、愛されている。
自然とは、まさに慈愛のことだ。
だから、「全てのことに」となる。
一日に、どれだけ「ありがとう」を言えるだろうか。
「ありがとう」の想いが、顕れた瞬間、その時には、声に出す。
朝食にサラダがある。「ありがとう」
温かい味噌汁がある。「ありがとう」
鯖を焼いてくれた。「ありがとう」
「ありがとう」は、当たり前と思わないこと。
その想いや気持ちを嬉しく感じて、その喜びを云う、伝える。
それを当たり前にする。
さてさて、喜ぶことも、祈ることも、感謝することも、
みんな一つの生き方から自然に生まれるものだ。
私は、だから二十数年ぶりに、教会に還ることができたことに、
私は、ただただ感謝している。
「わが来たるは、義人を招くためにあらず。
不義人を招きて、改めしめんためなり」-
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