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from: クマドンさん
2018/01/07 10:00:02
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違っていい。違っているとが在り難い。
昨日は、「途中の会」で小千谷だった。
小千谷は、雪国だった。
新潟では珍しい好天に薄着ででかけた私は、はっとした。
そうだなぁ。
私が住んでいるところだけが新潟ではないんだと。
露天風呂で腰痛のWさんにストレッチの講習会だった。
初老の男二人が素っ裸で、ストレッチしている。
ちらほらと雪の舞う中だ。
そんなことが楽しく、人目が気になら無くなったことも嬉しいこだ。
「身体の声を聴く」だった。
腕を伸ばす。体側を曲げる。又割りをする。前屈する。
その一つ一つに彼が感動しているのに驚いた。
彼は、運動をしていないだけでなく、
身体そのものを動かす生活をしていないのだった。
筋が伸びる。筋が反応する。こんなところにこんな筋がだった。
自分の身体をストレッチしながら発見していた。
それから、部屋を借りて、いつもの語り合いが始まった。
「人は、違う」
「違うのだから、自分の価値観を押し付けない」
「子どもは子どもの人生を生きている」
「子どもの選択と決断とを尊重する」
「父親の出番は、子どもが壁にぶち当たった時だ」
そんな、話だった。
父親としてやりすぎてしまう私。
余計なことを言って、子どもたちに反発を食らってばかりの私。
それでも、やっとそのことに気付き、反省できた。
だから、今は、見守っている。
死者が生者にするように黙って守護する。
ただ、6月から東京で独り暮らしする次男には、
生活するために必要なことは、言っている。
どんなに煩がられてもだ。
さてさて、本質は、夫婦にある。
どこの家でも同じだった。
まず、どうやって「夫婦」になるか。
実は、婚姻関係にあるだけで、夫婦ではない。
夫婦とは、夫婦になるものだと、80歳のSさんの話だ。
そうだよなぁ。だった。
それも、平穏無事の中からでは、夫婦になるチャンスは生まれない。
それはそれで幸せでいいのだが、
案外、そんな関係の中で、「分かっているつもり」で、
本当はお互いの気持ちを分からずに、苦しめていることが多いのではないか。
私はちゃんと夫をやっている。
私はちゃんと父親をやっている。
何か、文句あるかかな。
でも、積もり積もったことが爆発したり、
何か予想もしなかったクライシスに襲われた時、
はっと気付くことがある。
「ああ、私は、分かっていたつもりだったのに、
何も分かっていなかったんだ」と言うことに。
まさに、「無知の知」である。
「そんなことは知っている」
「そんなことはちゃんとやっている」
「私の言うことが正しいんだ」
「どうして私の言う通りにできないんだ」かな。
その一方的な価値観の押しつけと、
お前が悪い。お前が間違っている。との決めつけと、
私は、ちゃんと責任を果たしているという自己満足とで、
ずっと生きていたとしたら、やっぱり相手は嫌になるだろうなぁと言うことだ。
それは、私の実体験だ。
分からなかった。
今は、だから、申し訳なく想い、私が変わることにしている。
食卓でも、私が独りでおしゃべりすることが多くなった。
聴いていなくても、話すことは大切だと想ったからだ。
まず、私が変わることはできるのだから、
私が、そうすればいいと想い至った。
妻や子どもが私をどう想い、どう感ずるかは、
私のテリトリーではない。
それは、相手が感じて、決めること。
それも事実なんだな。
だから、結論は、「想いしか相手には伝わらないな」だった。
本当に好きだったら、その好きだという想いは伝わる。
心配しているよならば、その心配している気持ちは伝わる。
いつでも困ったことが在ったら助けるよという気持ちは、
必ず困っている相手には伝わるものだ。
そんな想いがのった言葉は、相手の心にはずしりと必ず届く。
しかし、これが正反対だったらどうだろう。
想ってもいないことは、口にしてはいけないんだな。
だから、正直に本当にそう想える心を自らで育てる。
感情を入れずに、我を通さず、時にはプライドを捨てて、
自分を無にして、相手に従う。
さてさて、そうした「無私」の心での歩み寄りが、
きっと「夫婦」や「親子」になしてくれるのだという深い話だった。
そこに、人は人としての自由と責任があるのだろう。
家族は、他人ではない。
家族とは、離れられない。
嫌だから。我慢できないから。もうたくさんだからと、
出ていくことは、その自由と責任との放棄にすぎない。
お互いに違った存在である家族が居ることで、
私は、人としての心の修業を積むことができた。
Sさんは、そのことに気付いてよかったと、言っていた。
私も、人生の途中で、そのことに気付けてよかった。
そして、Wさんにも、そのことに気付いて欲しかったので、
そんな話をSさんとした。
新潟だけが、新潟ではない。
みんな違って、みんないい。
違うことを認め合うことで、
初めて私たちは、相手の本質と出会えるようだ。
違っていいんだ。
違っていることが、在り難いことなんだ。-
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