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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/02/09 06:24:04

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    右膝の痛みが・・・・

    一昨日から、右膝が痛くなった。
    その前は、右足の付け根の股関節だった。
    その原因は、不明だ。
    心当たりと言ったら、雪除けくらいなものだ。

    記録的な寒波が、ずっと居座っている。
    雪であることが当たり前になった。
    日中に窓から見える景色が違う。
    ここは、津南か十日町かだ。
    そんな中で、毎朝、5時半には、
    スノースコップをもって、雪除けに町内を歩いた。

    まだまだ暗い道路を。、
    一本のスコップを片手に歩く得体の知れない男であった。
    何だかね。
    膝が痛んでも、やっぱり出かけてしまうんだな。
    そのことを、自分の使命としたときから、
    そのことは、私が勝手に決めてはいけないこととなったらしい。
    そこには、除けねばならない雪が在り、
    その雪を除けるだけの力は、その人にはないのだから。
    やり始めたことは、最後までまっとうしようだった。

    除雪車が来ると、大きな道路に出るためにも
    小路からは雪山を越えて行かねばならなかった。
    車で超すのも一苦労だったので、
    そいつも一緒にやっつけている。
    車一台分の幅を開ける。
    これがまたまた重労働なんだな。

    それから、ゴミ収集の籠までの20mはあるだろうか。
    そこをずっとずっとダンプを押しながら、道を付ける。
    私の前には道はなく。
    私の後には道ができる。
    私を独り立ちさせ、この使命を与えた偉大な父よ。だな。

    そのローテーションが、当たり前になっていくと、
    やっぱり雪が降った日の朝は、じっとしていられなくなる。
    オーバーズボンと、ヤッケと、帽子と手袋と、長靴だ。
    静かなまだまだ暗い道に出る。
    ちらほらと天から雪が降って来る。
    そんな時刻に歩いている人は、誰も居ない。
    でも、私は、そんな朝を、歩く人となった。

    そうやって考えると、やるべきことは向こうからやって来ることがよく分かる。
    私がやっているのではない。
    向こうからやってきた想いに促されて、ただ動いているだけ。
    「意志」とは、向こうから来るものだった。

    「感じ」たら、「動く」。
    そのことをこだわらず、余計なことを考えず、すーっとやる。
    ただ、そうしようと想ったと同時に身体を動かす。
    身体を動かしながら、どうするかを考える。
    ここの雪を押して、その雪をここに捨てて、ここに山を作る。
    今、ここでやっていることだけに、
    ただ、無心に従う。

    しかし、こんな簡単なことを、私は、この歳になるまでに気付いていなかった。
    どうして、隣近所の独り暮らしのお年寄りたちが、
    この大雪で難儀していることに、私は、ずっと気付かなかったのだろう。
    そのことを想うと、何だか、これまでの無関心を申し訳なく感じた。

    「布施」と言う。
    本当だなぁ。と想う。
    布施は、きっと自分のためにするもんだ。
    布施は、布施をされた相手が気付かないようにするものだ。
    右手でしている布施を、左手に気付かれないようにする。
    すると、向こうから、笑顔が来るし、
    よくやったねとの、感謝の言葉が染みて来る。

    その感じが、ほどよく嬉しい。
    我が家に帰る頃は、汗でシャツとパンツはぐっしょりだ。
    家に入ると温かなストーブを、暑く暑く感じてしまう。
    肩で息をする。
    疲れがどっと出るので、朝風呂に入る。
    ゆっくりと湯船に浸かる。
    不思議な充実感を感ずる私。

    この「感じ」て「動く」力は、きっと誰にでもあるはずだ。
    こんなちっぽけな私にもあったのだから、
    きっとみんなにもその力は、備わっていると想う。
    でも、動くかどうかは、その先のことだった。
    感じない人も、残念ながら中には居るな。
    それも、私だったからよくよく分かる。

    でも、感じている人は、きっと多いはずだ。
    でも、そのことを感じたままに、身体でやれるかと言うと、
    その間に、人は、実に複雑な思惑や、計算や、欲が働く。
    「こんなことをしたら、何と言われるか」
    「余計なことをしないでくれと、怒られるかも」
    「あの人は自分のとこだけなんだから、私だってそうしよう」
    そんな内心の葛藤は、「やらない」という方向に向かうようだ。

    「感じ」ても、「動かない」だな。
    その選択の中に、本当は人生そのものの修業の場が隠されていた。
    きっと、「動かない」で終わる人は、
    その「意味」には、気付かないまま、歳をとって、去って行く。
    去ってから、その「意味」を気付いたところで、
    もうすでに、この身体はどこにも存在していない。
    「働く」ことや、「働きかける」ことは、もう無理なんだな。

    だから、生きている間には、迷わずに、余計な心配をせずに、
    「感じた」ら、即、今、ここ、で身体を「動かす」ことが肝心なんだな。
    心で感じ、感じたままに身体を動かす。
    途中にまがい物や、不純物は混入させない。
    感じと動くを直結させる。
    感じと動くを同一にする。

    感じたら、動く。

    このことを、すーっと何気なく、こだわりなく、できる人が、
    きっと「深くを生きている人」なのではないだろうか。
    黙って、それでいて、にこにこと楽しそうに仕事をしている人が、
    私の周りに居てくれたら、その人が、きっとその人なんだと想っている。

    そんな人に、私もなりたい。
    これからの余生は、そのことのための時間に使いたい。
    感じたら、感じたままに動く人。

    膝の痛みのおかげで、階段を降りるたびに悲鳴をあげでいる。
    手摺だけが唯一の命綱だ。
    でも、身体は痛みを私にうったえながらも、
    それでよかったと、言っているようでもあったな。

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