サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2018/02/15 06:32:45
icon
父親であることとは
父親であることとは。
申し訳ない父親としての私は、そのことを考える。
私は、長男と次男にとってどんな父親、「父さん」だったのか。
慙愧に絶えない想いもある。
本当に「ごめんなさい」と、言わねばならない。
でも、こうして、今、ここで、父さんだ。
「祈りの中に幕が下りる」
私は、この映画のラストに打たれて、
本当に何だか深く深くで打ちのめされて、気付かされて。
嗚咽の中で、立てなくなった。
本当に、立てなくなった。
「砂の器」あの時、以来の衝撃だった。
父さんとは、子どもたちにとってはどんな存在であるのか。
そして、何よりも、どんな人として、
その子どもたちの人生の傍らに立ち、
子どもたちの苦難を、辛さを、苦しみを、
そして、喜びを見守って行ってやればいいのだろうか。
問われているのは、私だった。
この映画に描かれている、「父親と娘」との運命は、過酷だ。
ただ、その過酷なる宿命故に、
何か、父は父としての、娘は娘としての定めに気付き、
その定めを、受け入れ、夢をもち、細やかな幸せを感じ、
そして、光と闇との間を、生きていた。
江戸川の橋の上の出会い。
たったそれだけの、1年で一回だけの出会いであっても、
深く深くで信じあい、繋がり、想い合う親子。
近づきたくとも、近づけず。
抱きしめたくとも、抱きしめられず。
声をかけたくても、かけることは許されない。
それでも、娘は、女優として大成し、
明治座での舞台を演出するまで上り詰める。
父親は、原発作業員として東北の町を転々として生きながら、
スナックの女と、切なくも幸せな日を送っている。
この父親なんだ。
彼が、娘を愛して、したことなんだ。
それが、きっと父親が、子にすることなんだ。
それを、この映画は、あの「砂の器」のようにして描いてくれた。
そう、生きられるか。私。
子どもたちに、本当に哀しい想いばかりをさせてきた駄目な父さん。私。
どうだろうね。
刑事の加賀美の頑固親父の父親、山崎努が見事に演じた。
「身体はじゅまだよ。あいつのことは、あの月のように、
いつまでも見守っているさ」が、死を予感しての言葉だった。
「ミッドナイトバス」もそうだった。
「父親は、扇の要」だな。
今朝、ふと、言葉が浮かんだ。
「深さって、哀しみだな」
「哀しみのない人生って、深さのない生き方だな」
よくは、分からないけれど、
父さんとして、生きる役と意味とは、
あるのだから、そう生きることなんだな。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件