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from: クマドンさん
2018/03/06 17:55:58
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知足の人こそ
3月6日火曜日だそうだ。
退職するまで、後、25日間となったようだ。
自分の人生にこんな日が来ようとは、
我がことながら、信じられないような気持ちがする。
亡くなった母は、いつも言っていた。
「兄ちゃんが、退職する日まで生きていたいよ」って。
「大丈夫だよ」と、私が言っていたが、
その母が亡くなってから6年たとうとしている。
何も供養らしいことはしていない。
父に対しても同じだった。
申し訳なく想いつつも、
こうして想い出すことが何よりもの供養なんだと自分を慰める。
生きるとは、いかに死ぬかだ。
そんな問いをもちつつ、ここまで生かされて来た私だった。
何だか、その問い一つで、ずっとずっと生きてきたようだった。
迷いだらけ。
どんだけ、我がままを通して、
どんだけ、何だかどうしようもない自分をかかえ、
そのまま、突っ走って、人様に迷惑をかけてきたことか。
それでも、こうして今日を生かされている。
何よりも、あの哲学者が言ったように、
その問いに応えられるものは、思想でも思考でもなく、
ただ、信心そのもの。
そのものに成り切らなければ、
その問いに対しての応答はどこにも無いということだ。
どんなにか酷く言われようとも、
私は、どんなに愚かな生き方をしようとも、
その問いだけは忘れられなかった。
というよりか、その問いによって生かされて来たような気もする。
その問いを与えられたことは、
私には確かに試練であり、孤独であり、艱難辛苦であり、
大いなる罪であったが、
その闇を通さない限り、
本当の光とは決して出会えないのが人としての宿業なのだとも想っている。
「人間が生きていいるということは、
過去に積んだ業縁をひとつづつ消して行くため」と紀野さんの言葉だ。
「罪障功徳の体となる
こほりとみずのごとくにて
こほりおほきにみずおほし
さわりおほきに徳おほし」 親鸞さんだ。
「人間がぶざまさ、足りなさ、格好の悪さ、どうしょうもなさを、
しみじみと思い知った時に、
もう大きな力に促されるままに生きて行くほかない」
「それが自然法爾の世界なんだ」 紀野さんの言葉。
「知足の人」となる。そうすれば、もろもろの苦悩を脱せる。
さてさて、退職を控えたこの60歳の男は、
ただただ、ああ、愚かだなぁ。ああ、罪深いなぁ。
ああ、どうにもならない男だなぁ。ああ、俺だなぁと、ただ感ずる。
でも、底に堕ちると、そこが分かる。
そことは、底ではなく、転ずる場所なんだな。
手の平と手の甲のようなものだ。
そのままでええがなと、そう言える。言ってもらえる。
そう言ってもらえる神様に、阿弥陀様に全てを委ねる。
お任せする。
それは、自力ではどうにもならない人生を生きて来たことへの自覚だからだ。
だから、どうするか。
先人たちは、どう生きた来たか。
「お浄土は、ある」とは、紀野さんの言葉だ。
そうだと、私は想う。
何故なら、道元さんも、親鸞さんも、良寛さんも、賢治さんもそう生きた。
いや、それを信じたから、赦された。愛された。安心立命そのものとなった。
それが、知足の人なのではないだろうかな。
信仰をいただいた。
それこそ、この生き死にの問いの応え、応答ではないだろうか。
知足の人は、地上に伏すともなお安楽なりとす。
さてさて、与えられたこの人生そのものを、
在り難く感ずる。
ただ、ただ、ここまで生かされて、
この仕事を全うできそうなことを、神様には感謝している。
私がやったことではない。
私は、ただの器だ。-
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