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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/03/30 06:31:12

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    生きてみないと分からないな

    毎日が。生きる練習だな。
    今週は、お休みをとった。
    平日、我が家で過ごした。
    すると、時間を持て余している私が居た。
    こういうことなんだな。
    だから、何かをやろうとせっせと考える。
    じっとしていられない。
    これも性分なのだろうか。

    庭仕事をした。
    プランタからあけた大量の土が庭の片隅に在る。
    その土を赤玉土と腐葉土を入れて、プランタに戻す。
    ビオラとパンジーは花盛りだ。
    今年は、いろいろな種類の花を育てようと想っている。
    この庭を花でいっぱいに輝かす。
    そう想って花を観ていたら、
    ああ、ここに独り生きるの友達がいたなぁと感じた。

    今日は、辞令交付だ。
    いよいよ「お疲れ様でした」の辞令をいただく。
    ここまで、来れた。
    山あり山あり、谷あり谷ありだった。
    何度か心と身体との病によってお休みをいただいた。
    その度に、復帰は無理だろうとの不安を抱えた。
    「まさか」の連続で、どうにもならない状況にも立たされた。
    そんな最中には、確かに、死にたくも在り、
    どこかへ消えてしまいたくもあった。

    でも、今、ここに生かされている。
    何だか肩の力を抜いた。
    「どうでもいい」と想えるようになった。
    「いい加減が、ちょうどいい」と飄々と生きられるようにもなった。
    人の目を気にして生きていたが、それもやめた。
    自分は自分。人は人。
    違うことで、自分自身を全うしようと想って、生きた。

    どん底にあった。
    でも、いつの間にか、その場所が自分の生き場所となった。
    どん底なんか、実は、どこにも存在しなかった。
    一時は、そう感ずることもある。
    でも、季節は変わり、時間は流れ、人は忘れる。
    そんなものだったな。

    そして、たくさんの人たちの言葉によって、
    思いやりによって、私は、やっぱり助けられて生きて来た。
    「生きる」ということは、
    それは人にとっては「仕事」そのものなのではないだろうか。
    そして、その仕事を果たすために、
    人には、御同行。同僚。同志がちゃんと神様から与えられている。

    独りだ。独りだと、嘆いていたのに、
    本当は、その独りの周りにたくさんの独りの人がかかわっていて、
    その独りの人が生きて行けるように、
    励ましを与え。
    支えて下さり。
    いつもいつも見守っていてくれた。
    それは、事実だ。

    それは、本当だった。
    自分のことを独りぼっちだと感じている人には、
    その人たちのことが見えないだけだ。
    人は、そんな人を「見過ごしには」しないものだ。
    本当は、目には見えない、言葉には聴こえないかもしれないが、
    そんないっぱいいっぱいの人の想いで、
    人とは生かされているのではないかと、
    やっとこの歳になって想えるようになった。

    人は、決して独りぼっちにはなれない。

    この花たちが無言で私を見ているように、
    きっとこんなどうにもならない私のことを、
    じっと忍耐強く、温かな眼差しで、見守っていてくれた人がいたはずだ。
    私には、人生の苦難の節目節目に、
    そうした人たちと出会った経験がある。
    その人が居てくれたから、その峠を乗り越えることができた。
    そう言い切れる人が、私には、何人もいる。
    それは、とてもとてもありがたいことだった。

    花は、黙って私を見ている。
    私も、黙って花を見つめる。
    私は、たった独りで黙ってそこに咲いている花たちに、
    何か毎日、教えられているような気がする。
    あのヒヨドリもそうだ。
    花無心。ヒヨドリ無心。
    私も、これからは、そこで生きねばならないと、
    そんなことを花やヒヨドリを観ているとそう感ずる。

    まだまだ欲が在り、有心だから、寂しさや焦りを感ずる。
    本来の自然に還れば、ここに置かれているように生きるだけ。
    ただ生きる。
    そのことに、迷いなく徹することができたなら、
    きっと、何も焦らず、何も動かず、
    今、ここにじっとして生きられるのだと想っている。

    そんな日々を淡々と粛々と生きることの練習が、
    これからの私の生活になると、
    そんなことを想って本を読んでいた。

    「自然の一部として生まれて来た思うだけで、気負いはなくなる」 篠田桃紅

    「自ずからに由れば、人生は最後まで自分のものにできる。」

    「自ずからの足で立っている人は、過度な依存はしない。」

    「自分という存在は、どこまでも天地にただ一人。」

    「日々違う。生きていることに、同じことの繰り返しはない。」

    「体の半分はもうあの世にいて、過去も未来も俯瞰するようになる。」

    「誰か式、誰か風、ではなく、その人しかできない生き方を自然体と言う。」

    「103歳になってわかったこと」である。

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