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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/06/11 14:13:44

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    感じる人であれ

    この三日間で、本当にいろいろなことがあった。
    そのせいか、ほとほと疲れ果てて、今朝は寝坊だった。
    上手い具合にバランスがとられているようだ。
    この身体の疲れに、素直に従い、こうしてぼんやりとしている。

    映画「羊と鋼の森」
    私はこのピュアな感性に心打たれ、
    映画が終わっても立ち上がりたくない感動だった。
    まっすぐに感じたままに生きる。
    ピアノは森だったという気付きと、感性。
    只管その音をどう届けるかに真剣に立ち向かう姿。
    「ピアノを食べて生きる」
    「音を届けてくたさい」
    感じたから、彼には、その感じられた音が創られるんだな。

    Jさんと久しぶりの飲みだった。
    彼とは、「腐れ縁」だとよく言っている。
    しかし、在る時から、気を使って、疎遠になってしまった。
    私も気になり、彼も気にしていた。
    でも、またこうして会って腹を割って語り合うまでには、
    ある時間は必要だった。

    私は、ただ語りたいことを語りたいだけだし、
    彼もまた、語りたいことだけを語る。
    90分間一本勝負だ。
    ただ、お互いに気持ちよく分かれられるのは、
    言いたいことを何も忖度なく言い合っているからだ。
    そんな「いかに生きる」の話を、
    こうして真剣に本音で向き合って語り合える友は少ない。
    高いお金を出して、遠慮して、場当たり的な話で終わる飲み会は、
    昨年の秋に行って、もうこりごりだと悟った。

    今、ここで、感ずるままに、感じたままに、語り尽くす。
    そこには、感ずると言葉との乖離はなく、
    一体として語られる想いだけ。
    それだけで、充分だな。
    生きる時間にはお互いに限りがある。
    言いたいことが言えない人とは、飲まないことだ。

    さてさて、帰ったら随分と酔っぱらっていたらしく。
    とうとう長男と取っ組み合いの喧嘩となった。
    二人で初めてのことだった。
    次男が中に入ってくれなかったら、
    今頃お互いに大怪我をしていただろう。

    土曜日の朝、群馬の宝川温泉に家族で行く予定だった。
    「どうした」と、聴くと、
    「行きたくなくなった」とのことだった。
    さもありなんと、私は、スイミングに出かけた。
    このSさんのコーチでスイミングを習うのは、後1回となった。
    昼に帰って、ラーメンを食べた。
    長男も黙って横で食べていた。
    それでも、やっぱり、せっかく予約したのだからと、
    2時に出かけることにした。

    お互いにそのことには触れないし、何も語らない。
    車の中では無言だったし、私は菊水一番搾りを呑んでいた。

    そして、この温泉の露天風呂には、
    私は、懐かしい故郷のようなゆったりと受け入れられる感じがした。
    大樹が萌えでて、渓流の音が響き、鳥が鳴き、モリアオガエルが鳴いている。
    温めの温泉に浸りながら、黙って、その景色を観ていた。
    峰の色・渓の声だ。
    仏の言葉はここに顕わで、明らかだった。
    ただ、感ずればいい。
    ただ、感ずるままに気付けばいい。

    私は、岩の上に座り、静かに呼吸を整えて、瞑想をした。
    いつでも、どこでも、気が付けばやれることがこれだった。
    「ゼロポイント」に戻る。
    呼吸を深く、静かに続ける。
    心が落ち着く。
    そして、この始まりがなく、終わりもない自然の中で、
    途中に生かされている自分自身を感じた。

    調律師の彼が感じた、その森の音。
    その音は、静かに心穏やかにして、聴き入ることでしか聴けない音だ。
    温泉に入って談笑し、声高に喋るだけの人たちも居る。
    残念ながら、その人たちには、
    今、ここで、顕わになっている全てのことは、無でもあった。
    感じない人には、存在しない。
    つまり、見えないものや聴こえないものが、
    この世界を創造し、いかに生きるかを、私たちに伝えている。

    しかし、観ない・聴かない・感じない、
    もったいないなぁと、私は感じた。
    翌朝は、4時から2時間。
    夜明けを感じながら、岩の上で坐禅して、ヨガをした。

    考えることより、感ずることだ。
    そのことを素直にできるような自分になれて嬉しかった。
    私は、これからももっと感ずる人になりたいと願っている。

    若き調律師の彼の生き方。
    挫折を乗り越えプロを目指す決意をした彼女。
    腐れ縁のJさんの心。
    取っ組み合いをした長男の切なさ。
    それを止めた次男の気持ち。
    それでも、家族で温泉に行った男たちを見守る妻の気持ち。

    あの大樹と渓流の音と鳥の鳴き声。
    そこには、観えないものと聴こえないものに溢れていたはず。
    それを、私は、どれだけ感じ取ることができたのか。
    それでも、感じようと空にしたことは、
    それはよかったと、今も思う。

    日曜日に帰って来たら、アルビの惨敗。
    小千谷のSさんとの2時間の電話での話。
    その後、東京の従兄との電話の話。

    感ずることに晒されている私は、
    それを考えて、そうだとは決めないことにした。
    まず、感じよう。味わおう。意味を体感しよう。それだけだ。

    今も、ずんという疲労感がある。
    午前の2時間、庭でビオラとパンジーの後始末だった。

    何だろうねぇ。
    こうしてただ静かに時間だけが流れて行く。
    それでも、私は、感じられるままの私でいようと、
    疲れた気持ちを奮い立たせて、この駄文を書いている。

    「感じる人」であれ。

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