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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/06/12 09:22:45

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    繰り返しなんだな

    さてさて、のんびりと生活させてもらっている。
    お金は・・・まあいっか。
    とにかくお金は大事大事に使っている。
    銀行から降ろすと、全部を千円札にする。
    それを銀行の封筒に入れて、持ち歩いている。
    それでも、けっこう何とか出来ている。
    「はぁー、そうだっんだ」と、やってみて初めて気付くことばかりだ。

    昨日、パンジーとビオラを仕舞にした。
    もう少しもう少しと想って借り入れを先延ばしにしていた。
    そしたら、ひょろひょろと密集し、
    何だかか弱き人たちとなってしまった。
    花屋の先生の言う通り、この暑さできっとやられたのだ。
    ならば、ここでアデュとしよう。

    ばさばさと刈り取って、袋に詰めた。
    花たちの袋詰めだった。
    すっかりときれいになってしまったプランタ・プランタ。
    そうだったなぁ。
    やっぱり花が、色なんだと改めて感じた。
    気が付いたら、あの色たちが去っていた。
    私は、その色を感じながら、その色に感応する私を感じていた。
    その色が、少なくなった。

    ところが、今朝、その残されて細く短い茎たちを見て驚いた。
    小さな芽が、もう吹きだしていた。
    あっちにも、こっちにもだった。
    根っこでしっかりと生きていた。
    いや、命とは、決して死なないものではないだろうか。だな。

    何だかその生まれたばかりの薄黄緑色の小さな小さな葉を観て、
    「がんばれ」と、声をかけた。
    きっと生きているってこういうことなんではないだろうか。
    いのちとは、生きる力をそのものに具えていることを、
    私は、庭の花や野菜たちから教えられる。
    しんなら強く。なかなかしぶとく生き続けているものだからだ。

    大きくなったミニトマトの枝芽をとって、プランタに植えた。
    数日は、へなへなと弱っていたが、
    その後、すくっと立ち上がり、今では濃い緑色の葉を伸ばしている。
    「ああ、自立したな」だった。
    きっと根が張られ、身体そのものに水と栄養との循環システムができたのだろう。
    命あるものには、生き延びるための力と工夫が自ら具わっているものだ。

    そんな生きる姿を目の当たりにして、
    私は、何だか、いつも、花や野菜たちに教えられ、励まされて生きている。
    本当は、どうでもよかったんだ。
    それなのに、そのことが無くなることを恐れて、
    余計なことばかり考えて、悩んで、不安になっていんだな。

    今、ここに、こうして花と野菜と同事になって、
    その時間の流れを感じつつ、その流れに流されつつ、身を任せつつ、
    たゆたっている。漂っている。そんな生活を善しとしたら、
    ここにいかに生きるの先生が居て、同事である友が居てくれた。

    時間とは、流れては消えていくものではない。
    きっと、ここに在るものだ。
    だから、消えることを惜しんだり、先のことを想って不安になったりせずに、
    ただ、今、ここの、この風を味わうばいい。
    味わえるのは、今、ここ、この風。この気分。この同事。この感覚。
    それを味わえたら、それでいい。

    花たちも野菜たちもそうして生きている。
    迷いも、悩みも、苦しみも、不安も何一つ感じないまま、
    ただ、のほほんとおおらかにここに生きている。

    昨日、82歳の叔母から電話があった。
    独り暮らしの叔母の言葉。
    「クマさん、寂しいて。はよ、死にてよ」だった。
    「叔母ちゃん、死ぬ時まで、生きればいいさ」と、私。
    「そうらね。死ぬ時、来んだもんね」
    「いつかみんな死ぬんだすけ、それまで楽しく生きればいいよ」

    これは、私の庭の花や野菜たちが教えてくれたことだ。
    いつか季節が巡ると居なくなる。
    どこかへ去って行く。
    しかし、また、生まれる。
    その繰り返し。

    今朝、心に閃いたことは、これだった。
    「繰り返し。リフレイン。その最中。その途中。ただそれだけ」
    自然に在るものは、繰り返しすものばかりだった。
    つまり、始まりはない。終わりはない。だな。
    ならば、自然体としての私も、きっと、始まりはない。終わりはない。
    ただ、今、ここで、息をしている。生かされている。
    そのことを、味わう。楽しむ。喜ぶ。感謝する。
    死ぬ時が来たら、ここを去るだけ。

    でも、あのパンジーの小さな茎の芽のように、
    顕れる時がきっと来るはず。
    自然は、その繰り返しを、命の終わりと蘇生とを、私に教える。
    それは、私そのものの人生でもある。

    リフレインの今、ここを、味わう。感ずる。それを、言葉に顕す。
    それが、今を生きること。そんな気がした。

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