サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2018/06/13 09:26:48
icon
映画「タクシー運転手」を観に行こう
シネウインドで韓国映画「タクシー運転手」を観た。
あの光州事件に巻き込まれて行くソウルのタクシー運転手の物語だ。
実話を元にして描かれている。
その無防備な民衆に向かって容赦なく銃弾を浴びせる軍隊。
これは、実話なんだ。
同じ国民が、同じ国民を銃で殺戮する。
どうしてこんな悲惨なことが起こされたのか。
それは、上官からの命令だからだ。
そして、「アカ」とされ、「不満分子」として洗脳されたからだ。
民衆に銃を向け、無差別に殺戮する軍人には、
正義を守る信念があった。
そんな悲劇が行われている光州は、
戒厳令が敷かれ、外部からの侵入も、
外部にこの惨状が報道されることもシャットアウトされた。
怖ろしい統制が、この都市では実際に行われていた。
その事実を暴露し、世界中に報道し、
この都市の人々の命と自由と人権とを守るために、
独りのドイツ人の記者が、
命を賭して潜入し、取材し、脱出するまでの物語だった。
「かってあったことは、いつか起こることだ」
これは、過去の物語ではなく、
きっと今も、どこかの国や都市で行われている物語である。
そして、この日本もそうではないとは言い切れないと、私は想う。
権力を持つとは、その権力を維持するということだ。
民主的にその権力を行使することはあるだろう。
しかし、その権力を盾にして、
自らの利権を守るために、
他の人々を犠牲にすることは、あることだ。
人事権と財政権を握り、
全てのことを統括し、支配する王様のような存在が居たら、
きっと、その下で働く人たちは、
その人の命令を拒否することはできないのだと思う。
そして、その人を批判する様なことはけっして言わず。
その人を、もし、批判する人が居たら、その批判者を密告することだろう。
とにかく、言われて事を忠実に実行することだ。
そうした支配下に置かれた時、
人は、自由を失い、基本的人権を失い、自己の理想と希望とも失う。
「言われたまま、やる」
例え、それが民衆に銃を向けて発砲することであっても、
人は、そんなこともできるのだ。
それは、そうした恐怖政治によって、
反抗することすら全く考えられず、
ただ、言われたままに忠実に何でも実行する。
そうしなければ、どこかの地方都市に左遷させられる。
そうしなければ、自分も見せしめとしてその職を解かれる。
時には、罠にはめられて獄に投じられる。
N大で行われていたことは、
まさに、これと同じことではないだろうか。
あれだけの教職員が居て。
あれだけの学生が居て。
あれだけのOBが居ても、
その権力者には、誰一人物を申すことはできなかった。
学生の1人は、命令によって卑劣なタックルまでした。
相手が傷つこうが、どうであろうが、
やれと言われたら、やらねばならないからだ。
何でかねぇ・・・・。
狙いを定め、無表情で、立ち上がる若者や大人や老人を撃ち続ける。
次々と銃弾に倒れ、その怪我人を救助しようと駈け込んで来た人をも銃撃する。
麻痺してしまうのだろう。
自分たちがしているのは人殺しなんだと、感じない。
国を乱す反乱分子を倒すことが、
国の平和を守ることだと信じ込まされているからだ。
これは、恐怖政治の教育の力だな。
権力者は、どうすれば人々を想うがままにコントロールできるか知っている。
権力者が、絶対の権力者に到るまでのプロセスはあっても、
その途中でうまい汁を吸い、利益を得たい輩は、
彼のために尽力する。
そして、権力者が絶対の権力を掌握すると、
そうした取り巻きは、いつしかゴミのようにして捨てられる。
たった独りの人が、これを行った。
なのに、その周りで生きている人たちは、
その人に逆らうこともできず、おろおろと畏れるばかり。
やってはいけないと自分は想いつつも、
命令だからと、やってしまう。
哀しいのは、命じられて、そうやった彼自身なんだな。
だから、道元も、良寛も、権力者からの庇護を受けなかった。
真実とは、忖度の中にはなく、本当の自由の中だけに存在するものだ。
確かに、一時は美味しいことだろう。
しかし、この世の常ならずとは、全ての歴史が証明している。
権力者にすり寄っていた人たちは、
その権力者が失墜し、追放された今、職場で、
どんな顔をして生きているのだろうか。
この映画で、軍人の1人に救われた気がした。
県境の山道を抜けようとした運転手と記者が、
こんな山奥にも設置された検問に引っかかった。
そこで、この検問所の隊長である若い軍人が、
トランクの中を検査した。
見つかったのは、ソウルナンバーのナンバープレートだった。
彼は、この二人の嘘を見抜き、指名手配中の二人だと知った。
でも、彼は、「通してよい」と、この車を通す許可を与えた。
彼の眼差ししか、どうして彼がそのような行動に出たのかの答えはなかった。
彼は、通した。
そういう決断もこの戒厳令の中できるのが、人間だ。
いつも、こうした理不尽な権力に支配されている最中では、
いかに生きるかを、問われているのが人間だった。
銃殺するのも人間だ。
車を通すのも人間だ。
タックルするのも人間だ。
タックルを拒否するのも人間だ。
しかし、こうした究極な選択をしないですむ状況を作ることがでくるのも、
私は、人間なんだと想っている。
NOを言えないような状況に到るまでのプロセスの中で、
しっかりと状況の推移を見つめ、命と自由と人権のために、
そのことを守るためにはどうすべきか分かったら、
まだその芽が小さいうちに、果敢に摘み取る、排除する。
その勇気がなかったら、
ここがいつか光州になり、ここがいつかN大になってしまう。
今こそ、この映画の物語から、
独り独りが考えて、何かを本気になって決断すべき時なのではないだろうか。
県知事選挙の失意が続く。
その中で、私は、この映画を観ることを県民に勧めたい。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件