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from: クマドンさん
2018/07/11 16:54:42
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至福の時
小千谷のSさんが会議のために新潟に来た。
夕方待ち合わせて会うことにした。
念願であった、「篠田桃紅」さんの美術館にお邪魔した。
館長のMさんは、お茶の修業に行く時刻を遅らせてくださり、
私たちの訪れを待っていてくれた。
場所は中央高校の真裏である。
大きな木製の扉を開けるとすぐそこに桃紅さんの作品が展示されている。
彼女は現在106歳。
書道家として作品を創作するうちに、
線による独自の境地を完成させた。
まずまず、本物の力のすごさには、いつもいつも圧倒される。
初期の頃は、言葉を描いていた。
しかし、ひらがなを読めるのは日本人だけである。
言葉では、限定された作品となってしまう。
そこで、凛とした線に至った。
線はインターナショナルで、言語を超えた表現だからだ。
まっすぐな線。
その重なりや、動きが素敵なんだな。
「どうして四角を描いているのですか」と、聞いてみた。
それは、人工物が四角だからそうだ。
この世界は、人口なものと自然なものとが融合され、共に存在している。
だから。線であり四角なのだと言う。
この一枚の絵画には、世界そのものが現されていた。
また、新潟の冬のような色彩の絵があった。
そこにライトの明るさや角度を変えて照らすと、
微妙に感ずるものが変わって来た。
こちらの心象が、ここに顕れている。
アブストラクトであることは、
それだけ、私の心象風景として自由に感じられる絵となっている。
ここに一本の木が描かれているのとは違う。
私が。私として感ずるままに、感じられる自由さだった。
だから、作品名は無い。
作品の解説も、何が描かれているかの余計な説明も無い。
ただ、その絵と向き合う。感じ合う。語り合うだな。
絵を鑑賞するという性は私には無かった。
絵を描くことは好きでも、鑑賞とは私の世界ではないと感じていた。
しかし、桃紅さんの本と出会った。
尊敬した。生き方そのものに深く深く共感だった。
そして、本物と出会いたくなった。
すると、昔からの知り合いの奥さんが、学校町で美術館を開いていた。
驚いた。
だから、人生は生きてみないと分からないものだ。
茶室でお茶を点てていただいた。
裏千家の正式な作法だった。
様式美とでも言うのだろう、
一つ一つの所作、作法が美しく、決まっていた。
お菓子を出された。その食べ方があった。
お菓子は季節感のあるものを選ばれる。
それは、主のセンス・粋でもあった。
出された茶碗を右手で持つ。
そして、左手の上に置き、茶碗を愛でる。
ここでこの美術品である茶碗のうんちくを語れれば立派なものだ。
おもてなしを心で感じて受けるためには、
お客にもそれなりの修業と勉強が必要だった。
掛け軸のこと。生けられた華のこと。お手前のこと。
それが、室町時代から文化として継承されている。
深い深い生き方をその一杯のお茶から察せられた。
文化とは、身に着けておくものだった。
文化とは、こうして厳しい修業の中で継承され受け継がれていた。
非文化的な生活の私には、とうてい及ばぬものでもあった。
まるで、私は、猿だったな。
桃紅さんの絵を味わい、お茶を味わい、日本の伝統文化を味わった。
味わったから、身体となっていく。
身に着けるとは、とてもとても深い所作であり、作法だった。
何を見に着けて生きているか。生活しているか。
60歳になって、恥ずかしくなく日々を生きているのだろうか。
何だか深く深く反省だった。
美しく生きる。
そのためには、美しく生きている人と出会わねばならない。
凛としたその心根。
ユリの華がすくっと立って咲いているように、
そこからは芯のある美しさを感じさせられた。
美は、善であり、真である。
美を通して、善や真が顕わになる。
そうか、そうなんだ。
絵を味わうとは、そういうことなんだなと、やっと思い至った。
Sさんと二人。
まさに至福の時だった。-
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