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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/08/12 09:24:35

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    Aはどこにでも居る

    「いじめは、どうして起こるか」という本を朝、読んだ。
    ふむふむそうだったのかと、目から鱗だ。
    実は、昨今のワイドショーで話題となっている人物は、
    みんないじめ体質の持ち主だった。

    パワハラとは、それは、いじめを違う視点から表現した言葉に過ぎない。
    本当に、日本の組織社会からは、いじめが無くならない。
    いや、無くならないのではなく、
    無くならせようと闘う人がいないことが大きな原因だった。
    「あれはおかしい」「あんなことやってはいけないのに」
    そう想っている人は、たくさん居ても、
    誰もそのことを直接その人物に言ったり、批判したりはしない。

    何でだろうか・・・・。
    それは、報復が怖いからだ。
    自分はかかわりたくないからだ。
    誰かがつるし上げられ、攻撃されても、自分ではないから黙っている。
    だから、少しは良心の残っている人は、そっと見て見ぬふりをする。
    しかし、取り入ろう。つけいろう。うまい汁を吸おうとする人は、
    積極的にその人物とかかわり、その人物のいいなりになろうとする。

    Aというおかしな人物が居たとしよう。
    彼は、どうやったらこの組織を牛耳って、自分の想い通りにコントロールし、
    利益を独占できるかその方法を知っている。
    まず、自分がみんなから恐れられる人になることだった。
    強面・怒鳴り声・恫喝・睨み・脅迫・「殺すぞ」の決め台詞だな。
    まず、「俺は、怖いやつなんだ」と、印象付ける。
    見かけがその時は大事になるから、サングラスや白いスーツ等等だ。

    次に、見せしめのために、誰か個人を犠牲にしてつるし上げる。
    まず、自分の言うことをきかない彼の悪い評判を立てる。
    あることないこと、「あいつはひでぇやつだ」「いい加減だ」「嘘つきだ」だな。
    そうすると、取り巻きは自分に害の及ぶことを恐れて、
    その言葉に同意する。また、「こんなこともありましたぜ」と、
    余計なありもしない情報までもご注進する。
    周りでその話を聴いている傍観者たちは、
    「嫌だなあ」「聴きたくないな」と感じながらも、同席する。

    次には、その彼を呼び出して、こっぴどく恫喝する。
    みんなの前で、それをやる。
    それで、Aは、自分の権威と恐ろしさとを取り巻きと傍観者たちに誇示をする。
    すると、ああはなりたくないから、みんな黙る。何も言わない。
    目の前で人権が侵されていても、知らぬふりをする。
    ただ、この嵐がおさまるのをまつだけだ。
    そして、彼は、「村八分」にされる。

    今度は、中間層とでも言うのか、取り巻きの中で箸にも棒にもかからないBが居る。
    彼は、やっぱりAからこっぴどくやっつけられ、叱られ、暴力を受ける。
    そのことで、Bはむしゃくしゃとして、気持ちが収まらない。
    そこで、彼の登場だ。
    その鬱憤を彼にぶっつける。集団で彼をいたぶる。追い詰める。やっつける。
    しかし、やればやるだけ、何だか空しく、辛くなる。
    だから、もっとその暴力は過激になり、抑えがきかなくなってしまう。

    その間にAは何をしているか。
    そうした負の組織に統制がとれだので、まず自分の立場・地位を安泰にする。
    絶対権力者となるために、「永久会長」なる役職を創る。
    または、会長となり直接の統括を行わないようにして、
    厳しく院政を敷き、自分の想う通りに組織を牛耳る。

    ここまでAが権力を掌握するまで何とかならなかったのかと思うが、
    何とかはならないのが、日本の組織構造・日本人の精神構造だった。
    もし、Aがいずれ頂点に上り詰めるだろうと予想されていた場合、
    そのプロセスでCがノーと言い、批判し、反旗を翻したらどうなるか。
    実は、こうした組織内改革は、失敗するのかこの国だった。
    仲間だと思って共に立ち上がったはずのDが、突然裏切る。
    まさに、掌を返すようにして、Aにしっぽほ降ってひれ伏す。
    そして、優遇される見返りに、Cの根も葉もない不利な情報を捏造する。
    Cは、突然の左遷・解雇だな。

    この時点で、組織の人たちは、組織をよりよく改善し、
    全体の利益を上げようとの気持ちも意欲も失ってしまう。
    まず、Aのご機嫌を取らねばならない。
    自分の明日の生活は、Aの思惑次第なんだ。
    殺生与奪とはよく言った。
    ここに、恐ろしい恐怖政治が確立されれる。

    これが、日本の組織社会において行われているいじめの実態だった。
    大人の社会・組織のいじめは、酷いものだ。
    本当に、何だか強く見せかけ、暴力を振るうものが権力を握る。
    それは、このワイドショーの人物たちを見ればよくよく分かる。

    本当は、そんなAのような人物を頂点に立たせてしまった取り巻きと、
    大多数の傍観者が、そのAなる怪物を創造していることが分かっていないのだと、
    この作者は書いていた。
    私は、そうだなぁと、いじめを受けた当事者として、よくよく分かる。
    いじめをうけている者を、そうした人たちは、孤立させる。
    何もその人たちには迷惑をかけていないのに、
    正義感ぶり、虎の威をかるその人たちは、
    口裏を合わせ、「そうだよね」と、同調する。
    その同調の圧力が、なかなか陰湿なんだな。
    私の知らないところで、私の悪口を、私が知っている人たちが話している。

    確かに、人とは、そんなものなんだな。

    実は、その作者はこうも書いている。
    「本当に強いものは、強がることは必要はない」と。
    「人を恐れされる人は、臆病で、いつもびくびくしている人だ」と。
    「自分が酷い目に合わされ、愛されもせず、認められもせず」
    「辛い人生を歩んできたから、そんな寂しさと弱さから」
    「人は、暴力に依存する人となる」と。

    実は、一番弱虫で、臆病者で、愚かで、泣き虫で、どうにも程度の低い幼稚な人こそ、
    このAなんだと、作者は語っている。

    宮沢賢治さんは、童話の物語で、よくこのAのような人物を登場させる。
    そのAをやっつけられるのは、お追従と忖度をする大人たちではなく、
    まっすぐな気持ちで独りで立てる勇気を持った少年だった。

    まさに、Aは「裸の王様」だった。
    あの物語とそっくり同じことが、この日本の組織には当たり前となっている。
    情けない話だが、どこの組織・地域でもある事実だから仕方ない。

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