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from: クマドンさん
2018/08/13 11:22:58
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「ハイジ」だった
午後から、突然、思い立ってアプリコット「ハイジ」に行った。
涼しかったので、自転車でりゅうとまで向かった。
花火の日だった。
やすらぎ提では、すでにあちらこちらにシートが広げられていた。
最後尾は反対側の出口までだった。
演劇を一緒にやったTさんが、
ずいぶん大人になって、最後尾の看板を持って立っていた。
演劇に来ると、演劇のかっての仲間たちと会うことがある。
やっぱり好きなんだな。この舞台の空気感が。
そんな位置で並んでいても最前列のど真ん中の席を確保した。
足を伸ばすと舞台に触れる。
りゅうとの劇場の舞台が低いから、
一体感を感じられる舞台設定だ。
これも、演劇の神様のご褒美と感謝、感謝。
舞台は、奇跡の起きる場所。
オープニングから、その一途で、純粋で、真っ直ぐな、ただあるがままな、
そういうものの顕れが、このアプリコットの演者たちだった。
顔がいい。歌がいい。踊りがいい。
どれだけ稽古を重ね、どれだけそのものを自分のものとし、
どれだけその役を愛し、どれだけ真剣に、懸命に演じて、歌い、踊っているか。
つまり、私は、その何も混じりっ気のない、
何か生まれたての、ピュアな顕れを、ただ魅入っている。
アプリコットの感動は、一体何と説明したらよいのか、今は分からない。
この世界に出会うことで、
私もこの世界の独りとなれる。
私の中にある私が、素直に顕れ、そのものとしてここに居られる。
「神様の思し召しのようにこの身になる」との笹部さん。
ラストに向けた祈りや、感謝や、気付きや、愛は、
やっぱり深く深く信じている人ならではの台詞だった。
その台詞を語らせた、笹部さんのすばらしさかな。
フィナーレは、ただただ涙が溢れた。
そして、私が観たものは、あの東北大震災の二日後に、
このりゅうの舞台に立ち、お客様に涙を流して語った、
あの日の私自身だった。
みんなは泣いていた。
あの舞台の最後に流す涙は、舞台だけにある涙だ。
ハイジに抜擢された彼女の込み上げる涙は、
きっと一生の涙だと私は想う。
この涙を流せる場所が、舞台だった。
ここには、神が降りて、奇跡が起きる。
笹部さんの言葉。
笹部さんの生き様。
笹部さんの物語。
いつも生きる意味をこうして教えてもらえる。
その深い深い物語を十代の少年・少女たちが演ずる。
もし、本当に「ある」ものを感じたければ、
アプリコットを観ることだ。
感じることだ。
ここには、大人たちが忘れたもの、見えなくしてしまったもの、失くしたもの、
本当は大事にしなければならないのに、そまつにしているもの、
気付いているのに、気付かないふりをしているもの。
そんな真実の宝物が、この舞台には顕れている。
私は、そのことを感じ、想い出し、発見し、
自分を改めて確認し、そこに戻るために、
アプリコットを感じにでかける。
舞台に居るのは、私だった。
しかし、きっと私が見失って、探している私でもあった。
だから、その私自身との再会・邂逅に感動して、涙を流す。
アプリコットは、まさに稀有な奇跡の舞台なんだ。-
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