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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/08/15 12:24:44

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    どうやって生きたらいいかね。

    昨日、ある人と話した。
    心理カウンセラー・特別支援児童指導員の30代後半の男性だった。
    彼は、在る場所で不登校の子供たちの居場所作りを長年やってきた。
    彼によって救われた児童・生徒はとても多い。
    社会人になっても、時間を合わせてここに集まる人も居る。
    そんな素敵な居場所を物静かな彼が、ここに作っていた。

    私は、5年前に心の病になった時、
    やっぱり妻を通して知り合った彼の元にやって来た。
    かって不登校だった若者たちと、鬱になった中年親父だ。
    私にとっても、とても大事な居場所でもあった。
    さかずに、職場復帰してからは、
    水曜日の午後からここに集まることは不可能になった。

    そして、しばらくご無沙汰になったら、
    彼が結婚して、自分の郷里である他県に引っ越すことが分かった。
    私は、新潟に居る間に会いたくて、お久しぶりに彼に会った。
    それが、去年の何月だったかな。
    そして、彼が奥様とお盆だということで、奥様の実家への帰省となった。
    そこで、私は、5年ぶりぐらいに、この家のこの部屋を訪ねた。

    さてさて、彼といろいろと語り合った。
    そのことは、私にとっても大きな気付きだった。
    対話しながら、本当は自分自身と語り合っているのではないかと、
    彼とも確認できた。
    彼は、彼の話をした。
    私は、私の話をした。
    ところが、やっぱり同じことを話している共感に二人は包まれた。
    そうなんだ。
    やっぱり「これ」は在るんだな。

    若い人たちは、みんなという集団の中で孤立し、居場所を失っている。
    だから、その居場所を確保するために、ラインをする。
    頻繁にラインで連絡を取り合っているが、どんどん不安で、寂しくなる。
    そのラインの繋がりは、その人たちのセーフティーネットにはならない。
    時には、返信が少し遅れただけで、仲間はずれにされる。
    いつの間にか自分の悪口が書き込まれていたりする。
    だから、当たり障りなく、お互いに近すぎない距離感で付き合う。
    だから、心が満たされない。どうしても寂しさが増す。

    「今、とても独りで居られる力って大事だよね」だった。
    そんなみんなにつるまなければいい。
    あっちこっちのラインなんかで繋がらなくていい。
    休み時間は、教室で独りで本を読んでいていい。
    みんなから離れて、独りで好きなことをやればいい。
    みんなに気を使って疲れ果てるぐらいなら、独りで好きに遊べばいい。

    「あの人、きっと友達居ないんだね」と、言われてもいい。
    そんな気ばかり使っている人同志が、友達のはずはない。
    本音を語り合えず、時には、涙を流して辛さを語れぬ人を、
    人は、友達と呼べるものだろうか。
    だから、大事なことは、人目を気にせず、「独りで居られる力」なんだ。

    次に、大事なことは、「自分の気持ちを顕すこと」だ。
    語るとは、自分の内面を明らかにし、表現することだ。
    人は、語らない限り、自分のことすら理解できない人なんだ。
    だから、語ってみたらどうだろうか。
    もし、語る相手がいなかったら、私のように書いたらどうかな。
    ここに書いていることは、私に書いていることだ。
    別に誰かに読んでもらおうと思って書いていることではない。
    ただ、想ったまま、感じたままにここに記す。
    それだけのこと。

    しかし、そのことで随分私自身は救われた。
    私は、書くことで、自分の深くに隠れていたもの、
    または、本心とでも言うのだろうか、
    自分であるための大事な芯である言葉を確認することができたからだ。
    「ああ、こう生きればいいんだな」
    「ああ、そうだったな」と、腑に落ちる。

    つまり、自分自身を顕わにしない人たちは、
    自分の本心や、芯になる本質的な生きるが分からないまま生きている。
    だから、ふらふらと迷うし、おろおろと何かに依存したりする。
    自分の足でしっかりと立てない。
    だから、外に刺激を求める。誰かと一緒に居たくなる。
    しかし、そのことで何も自分は変わらない。
    依存して、気を紛らわした後は、もっともっと寂しくなるものだ。

    それから、頭で考えないで、「身体を動かす」ことだな。

    自らに生活のルーテーンを嫁する。
    朝、4時前に起床する。5時過ぎまで読書する。
    6時まで朝食の準備と、ゴミ捨てと、庭の草花の水くれをする。
    それから、朝風呂に入り、髭を剃り、整髪をする。
    7時には朝食を食べる。テレビはつけない。FMを聴く。
    食べたらすぐに食器を洗う。台所の床を掃く。
    そしたら、新聞を広げる。コーヒーを淹れて飲む。
    雀に餌をあげる。
    長男が朝食を食べる。彼が、弁当をつめる。

    私は、自分の部屋に入り、整頓をする。
    そして、「親父たちよ」を書き、ヨガを1時間する。
    メールが来ていたら返信する。
    天気がいいので洗濯機を2回回すことにする。
    ということは、干してある洗濯物を取り込まねばならないな。

    さてさて、悩んだり、くよくよしたり、後悔の溜息をついている暇はない。
    本当に次々と身体を動かす、移動する。
    向こうから来る仕事を一つ一つ片づける。始末する。
    そうすると気持ちよい。本当にすっきりとする。
    その気持ちよさを身体が感じられる生活をする。
    それを自らのルーテーンとする。

    それは、禅堂における作務となる。
    暑いからやらない。疲れているからやらない。二日酔いだからやらない。は、無い。
    とにかく、どうであろうとも生きて行くための必要感だから、
    まず、動く。まず、働く。そして、気付く。
    そうだったな。家事は、誰かのためにやっていることが多いんだなぁ。
    「働く」とは、「人のために動く」ということだなあと。
    だから、満足感・達成感を深く味わえる。
    今朝は、泊まった次男の友達と次男に豪華な朝食をこさえて召し上がってもらった。
    それって、「喜び」だよね。

    そんな話を次々とだった。
    その二人の話を聴いていた学生の男性が、ふと、のたまった。
    「深い話ですよねぇ」だった。
    彼は、黙ってソファーに座りながら、
    二人の話を聴いてくれていたのだった。

    「人の話を聴く」
    「深く共感する」
    それも、大事な生き方の1つだった。

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