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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/09/10 14:25:54

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    小岩井農場と啄木記念館

    二日目は、小岩井農場と渋民村の啄木記念館だった。

    午前中の涼しい時には、牛たちは木陰で休んでいる。
    一つの広いケージに何十頭ものホルスタインだった。
    あれだけ集まっていると、その景色だけで何だか心がうきうきとする。
    日中熱くなると牛舎に入るとのこと。
    いい時刻に訪れてよかった、よかった。
    小野?・岩崎?・井上?正確な名前は忘れたが、
    三人の出資者の名前をとっての小岩井農場と言う名前だった。

    その牛舎からの帰りは、20分位の遊歩道を歩いた。
    実は、この日から私の左足は、
    付け根から痛んでどうにもならなくなっていた。
    身体は思い通りにはいかないものだとは、よく分かっている。
    しかし、ここですか・・・の情けなさだった。
    歩くたびに痛みが続き、足を引きずってもどうにもならなかった。
    付け根の部分をマッサージしながら騙し騙し歩いた、歩いた。

    酔っぱらって足をかけたまま眠った結果がこれだった。
    もう二週間以上も痛みが続く。
    自業自得だ。
    何事も無く楽しそうに歩いている観光客のみなさんが、
    それだけでも羨ましかった。
    しかし、歩いた。それは、その木漏れ日の小道が賢治さんも歩いた道だからだ。

    小岩井農場に彼は、何度も訪れている。
    その時書いた詩が、石碑になってここに遺されている。
    この石碑を見るためには、この道を歩かねばならないのだ。
    これが、賢治さんが感じた風だった。
    ここをどんな気持ちで歩いていたのか、そんなことを想像するのが楽しい。
    その林の中で、その森の小道で、私は、賢治さんを感じていた。

    そこから車を飛ばして渋民村に向かった。
    石川啄木記念館だった。
    啄木は26歳で東京の小石川で亡くなっている。
    それまでは転々と渡り歩き、函館・札幌・釧路と新聞記者で生計を立てた。
    不遇と言えば不遇なる生涯だ。
    若くして結婚した妻の節子は、啄木の才能を信じて、支え励ました来た。
    その妻も翌年26歳?の若さで亡くなってしまう。
    妻の願いで、家族の墓を函館に創り、そこに石川家の家族の骨も埋葬されている。

    私は、ここにある尋常小学校の校舎が好きだ。
    ここに来ると、賢治さんの物語の世界そのまんまの学校が残されている。
    私の他には誰も見学者がいなかったので、
    私は、教壇に立って、子どもたちに語りかけた。
    何だかねぇ。涙が出たな。
    今は居なくなった子どもたちは、やっぱりここに生きているのではないかなぁ。

    人とは、その時代を生きているだけでなく、
    その生涯を終えた後も、ずっとそこに居続けるのではないのかなぁ。
    その人それぞれの想いや願いで生きていた頃のように、
    姿形は無いとは言っても、消えて無くなってはいないなぁと、
    この旅を通して、行く先々でそのことを実感する。

    物語はここにちゃんと残っているな。
    その人たちの想いや願いや喜びや悲しみや痛みや苦しみは、
    何だかじっと黙ってここに立っていると感じられるな。
    学校は、子どもたちのためにあるんだな。
    ああ、あの「風の又三郎」の小学校の子どもたちのように、
    ここには、喜助も、一郎も、又三郎もいたなぁ。
    ああ、楽しかったなぁ。ああ、面白かったなぁ。
    そんな子どもたちの歓声が、何だか遠くで響いているようだった。

    前庭の啄木と二人の男のブロンズ像がとてもよかった。
    彼が一人の着物姿の男の子の手を握って何かを語りかけていた。
    もう一人の男の子の方には、彼の左手がのせられている。
    その子は、じっと先生の顔を覗き、
    何かを、彼の言葉を、自分の力にしようと、問いたげま眼差しだった。
    「がんばれ」「大丈夫」「先生がついている」と、
    二人の子どもをしっかりと激励しているように感じた。

    「半分は、青いんだな」
    「しかし、もう半分は、目には見えないんだな」
    「でも、見えないから、そこには何も無いのではないんだな」
    「何も何から、きっと居てくれるんだな」
    「そんな半分と私の半分とで、やっと全部になれるんだな」

    私は、この旅は、その実感を確かめる旅にもなった。
    私は、いつも、こうして、そこで、見えない人に語りかけた。
    そこには、やっぱり半分はあったな。

    それから、昼食をとる時間も惜しんで、盛岡に向かった。

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