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from: クマドンさん
2018/09/10 15:16:59
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盛岡城跡と歴史文化館の原敬
盛岡では盛岡城跡を訪ねた。
素晴らしい石垣だった。
南部藩の立派な城がここに建っていた。
これも戊辰戦争での敗戦藩。
つまり、戦後はその城も打ち壊されたと言う。
この石垣を見るだけでも見ごたえのある城だ。
小学校の遠足なのか、たくさんの小学生が石垣の上の公園で遊んでいた。
城がある街は、その城の歴史を語られる街だった。
ここに昔どんな殿様が居たのか。
その殿様はどうしていたのか。
そして、どうしてその立派な城郭が今は無くなっているのか。
その話を通して、戊辰戦争での悲劇を語れる。
南部藩にとっては、新政府軍はどういう敵であったのか。
物語は、ここでは現場で語り伝えられていることとなる。
学校での教育とは、いかに生きるかの教育だ。
そのためには、生き方の師としての先人の生き様が求められる。
創られた歴史や架空の本に書かれただけの歴史には、
生きるそのものを教え、生きる道に導く力は存在していないものだ。
歴史とは、物語である。
そして、それを語れるのは、その先人の意志を受け継いだ人たちであり、
その歴史を心で受け止められるのは、
その土地で生きている大人たちであり、子どもたちだ。
ここからは、かっての殿様や武士たちが観ていた岩手山がそこにでんと構えている。
岩手山は、ずっとずっと盛岡の人たちを見守って来た。
岩手山に聴けば、縄文からの全ての物語を教えてくれるはずだ。
山とはそういう役目なんだ。
そして、この石垣にもそうした大事な役目が与えられている。
戊辰戦争での南部藩の悲劇を、やはり誰かが後世に語り継がねばならない。
それが本当の後世の人たちに与えられた使命ではないだろうか。
もりおか歴史文化館に行った。
その正面入り口の前に、原敬の祭文がブロンズに刻まれている。
この言葉こそ、東北戊辰戦争を言い表した言葉だと感じた。
戦後50年を経て、その殉教者を忍ぶ会が行われた。
原敬は、言葉を求められた。
そして、ここに万感の想いをこめて原敬は言葉を遺した。
それは、盛岡に生きる人たちへ語り継ぐべき想いであり、物語だった。
「余は戊辰戦争は政見の異同のみ 誰か朝廷に弓をひく者あらんやと云いつつ
その冤を雪(そそぎ)けり」
焚く香の 煙みたれや 秋の風 一山三文
ここに東北戊辰戦争で戦わざるを得なかった諸藩の人たちの想いがこもっていた。
この気持ちこそ、会津の、荘内の、南部の、長岡の、心ではないだろうか。
しかし、それなのに、歴史文化館での戊辰戦争の展示は、
まったくお粗末なものだった。
南部藩の義憤を悔しさをそれからの復興をどうして克明に記していないのか。
そのことが、東北戊辰戦争を調べに行った私にとって、
ある意味、ショックだった。
語り継ぐべきは、戊辰戦争での物語ではないのか。
秋田戦争を戦った家老の楢山佐渡は、どう想って今を生きていることだろう。
しかし、この南部藩の武士たちにとって、
この西からやって来た狂気の軍隊をどう想って戦ったのか、
その殉死した武士たちの魂に聴きたいものだと、つくづく感じた。
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