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from: クマドンさん
2018/09/17 11:08:56
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東北は、縄文だべさ。
9月5日早朝だった。
私は北海道新幹線で函館に向かうところだった。
地震だった。
それも相当の被害である。
盛岡から新青森までは新幹線は走っていた。
しかし、函館には渡らなかった。
一日早く北海道に渡っていたらと思うと、ぞっとした。
何と言うことなんだろう。
これは、運がよいのか悪いのか全く分からない状況だ。
さてさて、とにかく今夜の宿だった。
新青森で観光協会に駈け込み、青森駅前ルートインを確保した。
それから、循環バスに乗り、「三内丸山」の旅だった。
写真やテレビで観たことがあっても、
やっぱりそこに立って実物を見ないと、
本当のことは絶対に分からなかった。
縄文人は、この集落で5000年前から、1500年間定住したいと言う。
とにかく広い敷地に、その当時の建物が復元されていた。
同じ場所に何百人という人たちが、家族単位で暮らしていた。
そして、自然の恵みだけで、そのいのちを繋いで来た。
自然との共生とはよく言うが、
そのための知恵には驚かされるばかりだった。
戦争の無い、穏やかな平和な暮らし。
もし、他部落との争いが在ったら、
この1500年間の暮らしは、続かない。
また、食物を摂取する時も、次の年のことを考えて、
採り過ぎることは、絶対にしない。
狩りや収穫にはきっとそれなりの掟が決められ、
そのことをみんなで守っていたのだと思う。
言語があったのかどうかは、今でも分からないそうだ。
お互いの意思の疎通をどのようにしていたのか。
しかし、集団で平和に暮らし続けるためには、
コミュニケーションは欠かせないことだ。
どのような言葉を話していたのか、興味深い。
竪穴はその周りを土で埋められてあった。
これも、温度調整のための大切な工夫の1つだった。
大人と子供の墓は違うところに作られたいた。
子どもは小さな壺に入れて埋葬する。
死者を悼み、死者を大切にする信仰があったようだ。
親は、その子どものことを忘れないために、
自宅の近くに埋葬する場合もあるそうだ。
土の断面を見ることができた。
幾層にも分かれた地層の中に、
土器の破片や貝がら等が、びっしりと突き出ていた。
ここを野球場にするために、試掘をしたら出るは出るは。
まさにトロイの遺跡の発掘である。
その作業は今も続き、全容を明らかにするまで、
あと何十年かかるのかは、想像もできないそうだ。
ここに暮らしていた人たちは、みんな死者となった。
こうして歴史の旅を続けていると、ふと気付いたことがある。
そうだ、みんな死者になっているんだという、
それはそれは当たり前の事実だった。
この土偶を創った人も、この土器を創った人も、この村で暮らしていた人も、
全ては消えてここにいないようだが、
実は、ちゃんとここに居るのではないのかという感覚だった。
人は、消えない。居なくはならない。
その在り方を変えただけで、
水蒸気が雲になり、風になり、水になるように、
そういうものではないだろうかと、
何だか変な確信めいたものを感じられるようになっていた。
私は、土偶の顔や姿を通して、
縄文の人たちの想いや願いや祈りに触れる。
その魂とでも言うのだろうか、そのことは絶対に無くなりはしない。
両手で土をこねて創りだしたこの造形は、
その人たちの魂の顕れなんだ。
ここには、そうした無数の魂の顕れに充ちている。
だから、何一つ無くなってはいない。
話しかければ、きっと対話ができる。
それが、遥々とやって来て、その現場に立つことの意味だと思う。
だから、その縄文の魂の声を聴くことだ。
その時、ふっと分かった。
「そうか、両手は、何かを創り出すためにあるんだな」
「耳は鳥の声を聴くために在り、目は動物や植物を見るためにある」
「今、ここで、何が語られているのか、それを知るために頭脳がある」
「そして、自然からのメッセージを理解したなら、
その言葉を後世に残すために言葉が人には与えられている」
つまり、私の身体の全ては自然の中で生き抜くために神様から与えられたもの。
そして、この言葉は、その魂が語る想いや願いや祈りを、
次の世代に伝えるために人には与えられているのだということだ。
人は、自然の声に聴き随って生きる時に、本当の自由を感じられる。
人は、その形を顕わにする時、想像することの喜びを感ずる。
人は、その声を顕わにするとき、語り継ぐことの使命を感じて、それを果たす。
つまり、縄文のこの5000年前から、
何一つ途切れているものは無く、受け継がれてこなかったことは無い。
その縄文の魂と教えとが、
この東北の人たちの魂には脈々と息づいている。
その魂の継承は、今も、この地で行われ続けている。
という確信を、私は、この三内丸山の旅で得ることができた。
その縄文の魂は、私にもきっと受け継がれているはずだ。
そのことを想い出したい。想起したい。
私の真人とは、きっとその人のことなんだな。
そんな確信をこの地で得てから、私の史観がからっと逆転した。
「東北から戊辰戦争を語らねば」
「東北の人たちは、ただ平和を求めただけなんだ」
「東北の魂の原点は、縄文人の魂だ」
「そして、その魂は、今、ここにも、脈々と生きている」
私は、地震のために海を渡れなかった。
そのおかげで、たっぷりとこの青森で過ごす時間をいただいた。
それは、私が縄文人と出会うための必然だったと、今は、感ずる。-
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