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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/10/28 07:20:02

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    私の宿命とは何か

    「清水西谷」だった。
    東京交響楽団の若きバイオリニストとチェロリストだ。
    二人の創作曲である「鼓動」が鳴った瞬間から、
    涙が溢れてとめどなくなってしまった。
    それはそれは不思議な瞬間だった。

    その美しく、懐かしく、哀愁のある響きは、
    何だか深く深くの私を動かした。
    それは「創ったものではない。あるがままで創られたもの」だと感じた。
    何かが生まれるといこうとは、
    先に生まれるべきものがここにあるということだ。
    全くの無は、存在することはできない。

    あるものがここにある。
    その音に響きを託された人がここに居る。
    彼等の才能は、そのために天から与えられたもの。
    彼等は多くの師から学び、研鑽を積み、音楽家となった。
    そして、きっとその音と響きが彼等を見つけた。

    その音と響きとにいのちを与える。
    その魂からの要請に自ら知らずして応え始める。
    「こうしたら、こう。ああしたら、そうなる」ではない。
    それはきっと一本の線。
    迷うことなく、道を見失うことなく、
    そうなる道を、疾走する。
    追っかけるのももどかしいぐらいに、
    それは、きっとずっとずっとここにあったのだと、私は感じた。

    私のそれも同じだった。
    それはきっと発見されることを待っている。
    もうそれであるのに、それだけになれるのに、
    まだそれに気付かない私がここに居る。

    しかし、それは、一つだ。
    その一つが分かれて、この自分となる。
    その分れる前の、その一つは、みな同じ一つ。
    だから、きっと、人は分かり合える。
    私は、その一つを信じている。
    いや、信じられるような不思議をいろいろと経験した。

    涙とは、その一つの顕れだ。
    我を忘れて「清水西谷」の音と響きに聴き入っている時、
    涙は、とめどなく溢れた。溢れた。
    温かな涙が頬をつたう。
    どうしてよいのか分からない私が居る。
    その涙を流す私を、どうしたらよいのかと戸惑う私だ。

    没我の中に真の我が居た。
    それはこの音と響きを美しいと感じ、懐かしいと感じ、深く感動する私だ。
    その私は、奇跡の時に姿を顕す。
    それは、無心で踊りになり切っる舞踏家たちにも言えることだ。
    私は、この音と響きにインスパイアされ、
    音と響きに魂がたぎり、騒ぎ、静まり、佇む、真下さんの姿が観えた。

    そして、亡くなった父と母との、私の幼かった日々の楽しい思い出。
    今でも湧き上がり、涙と嗚咽が出てしまうが、
    父と母と妻と幼い子どもたちと暮らした若き日々。
    何だろうね。深く深く静かに深く、人生を振り返っている私だった。

    私は、涙を信ずる。
    涙を流す私は、生きていていいと自覚する。
    それは、一つの私であることの自覚だからだ。
    「そうなろう」「そう想おう」と、わざわざいらない。
    涙が溢れるように、既に、それは、ここにある。これだ。

    これは、私から始まったこれではない。
    ずっとずっと在り続け、受け渡されたこれである。
    これは、ここにいっぱいだ。
    これでないものは、探しても無駄。
    山川草木悉有仏性。
    それでないものは、一つも無い。どこにも無い。みんなこれだ。

    でも、人は、日々の生活でこれを忘れる。
    自分であることを忘れ、気付かず、見失い、私で生きる。
    それはとてもとても哀しいことだが、気付かない。
    私が先、先、だから、自分は沈黙の中に居る。
    しかし、その一つにその自分が出会った瞬間だ。
    自分が歓喜する。自分が目覚める。自分が顕れる。
    その証が、涙なんだ。

    私は、涙でその一つである「自分」を知る。

    音楽家は、音と響きとでその自分を顕す宿命を天からいただいた人。
    舞踏家は、踊りによってその自分に成り切る宿命を天から授かった人。
    では、私は、何によってその一つを顕わにしたらよいのか・・・・。

    これが、奇跡に出会い、インスパイアされた私へのいつもの問いだ。

    私には、言葉だけだ。
    この言葉で、私はどうやってこの一つを顕わにするか。
    「清水西谷」の音と響きによって、
    私に託され、授けられた「宿命」を何だか理解したような気がした。

    これまで、別々の点であった出来事が、
    その各々であった想いや考えが、
    舞台の上で一つになった。

    不思議なことだが、
    「清水西谷」「真下恵」の顕わによって、
    私の深く深くで眠っていた何かが目覚め、
    あるインスピレーションに到ることができたようだ。

    「やれる」しかし、まだ何もそれは、「言葉」になっていない。

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