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from: クマドンさん
2018/11/06 05:41:07
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音楽・音楽・音楽
昨日は、目覚めたら、どっと疲労感を感じた。
月曜日の朝だと言うのに、まったく使いものにもならない身体だ。
これも。土日に奇跡を見に行ったおかげさまだ。
土曜日の午前は、東区プラザホールでの合唱の発表だった。
朝、声が出なくなっていた。
目を覚ましたら、突然風邪をひいていた。
歳をとるということは、こういうことなのかと諦めた。
大事なコンサートなのに・・・。
しかし、歌うことの真髄が何だか分かった気がした。
「自分がいなくなる」ということだ。
「みんなに和する」ということだ。
午後からは、三浦一馬だった。
何と言う大人の男たちなんだろう。
大人が大人の音を鳴らす。
そこには、何だか不思議な遊び心と余韻とがただよっていた。
音に魅了される。
実に自然体で語られるそのガーシュインとピアソラだった。
石田さんのあのいかついスタイルから奏でられる繊細な音は何なんだ。
一音で、涙を流す。
「魂消えた」「たまげた」だった。
私は、その音になっていた。
つまり、ここには聴く私ではなく、
何だかね。
音である私になっていた。
「目に見えない世界と触れているのは、この音なんだ」の発見だ。
「言葉」とは、ずっとずっと後の後付け。意味づけ。
まず、その向こうの世界を顕わにすること。感ずることだ。
繋がっている。一続きだ。
三浦さんの言葉。
「お客様には申し訳ないのですが、
私は、演奏しながら音楽に成り切り、コンサートであることわ忘れていました」
すごいなぁ。
全く「無私」である。
そこにしか、本物の音は顕れて来ないのだろうな。
石田さんのバイオリンに、リスペクトだ。
その帰りに、日曜日の夕方の東京交響楽団のチケットを買った。
無理だろうと、そうは思った。
しかし、私は、ステージにこそ、奇跡が顕わに存在しているとの実感がある。
その「奇跡」を見逃すわけにはいかないんだ。
自転車でりゅうとに向かった。
この時点で私の体力のエネルギーはエンプティ―だったな。
アルパースのピアノだった。
アンコールでのブラームスの小品。
その一音のタッチから、涙だった。
さの音が私の中の深い深い何かに触れる。
涙がとめどない。
声を出してしまうくらい、どうにもならなかった。
あれって、いったい、何なのだろう。
それは、ラフマニノフの2番第4楽章もそうだった。
オーケストラが消えて、指揮者のノットだけになり。
音楽がまるで生き物のようにして立ち上がり、うねり、躍動する。
これが、奇跡の瞬間だったな。
本当にオーケストラが消えてしまう。
でも、ここには音が溢れる。圧倒的な力で迫る。
我を忘れ、ただひたすら感動する私。
「無私」の中にだけ、本物の音が存在する。
我を忘れた時、向こうの世界が顕れる。
演奏者を超えて、演奏者が想像もしていなかった歓喜が、
その音にいのちを吹き込む。
演奏しながら我を忘れ、圧倒される。
何だこれはと感動しながら演奏を続ける。
まぁ、ほとほと疲れ果てるわけである。
りゅうとに二日続けて通ったことは、
私にも初めての経験だった。
おかげでチケットの窓口のお姉さんと知り合いになった。-
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