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from: クマドンさん
2018/11/07 05:23:42
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我を捨ててこそ
やっとこの日にたどり着いた。
歳をとるということは、体力が衰えると言うことだ。
こんなはずではないと、想うことも多くなる。
しかし、その分、何だか物事を俯瞰して見られるようになっている。
だから、何が起こっても焦らない、慌てない。
「何とかなるなる。大丈夫。大丈夫」
そんな構えで生活できる。
次々と、いろいろと向こうからはやって来る。
その時なんだな。
「自分」を入れない。
「自分」を勘定に入れないだな。
迷いや切なさは、自分のことをよく見せようとしたり、
自分の評価を気にしたり、自分のことを守ろうとするから生まれるものだ。
ここで、「自分」を無くす。
自分なんてどうでもいいと、考える。
すると、相手のことを最優先に考えられる。
歳をとると、それができる。
自分なんて大したことはないと分かっているからだ。
こんなどうでもよいものを大事にしていたら、
いつもいつも感情と感情とのぶつかり合いだ。
そうではなく、「撃ち方辞め」だ。
まずどうでもいい自分のことなんぞ勘定に入れない。
どうやったら、相手のために、みんなのためになるかを考える。
そっちの方を優先する。
身軽に、気軽に、すーっと自分が例え損になるようにことでも、
自然体でやってしまう。
そこには、いかなる感情も入れない。
これは、確かに難しいことだが、
そうしたい。そうしようと想って、日々を生活している。
何だか人付き合いが悪くなった気もする。
あれだけあった飲み会にもすっかり出かけていない。
というよりか、お誘いがかからない。
いろいろな関係から私が身を引いた仕舞ったからだ。
それから、率先してやっていた地域活動からも、
今は静かに手を引くところは、手を引いている。
またまた、余計な腹を立てたくないからだ。
何だかね。
言っても無駄。
どうあっても変わらないよ。
そういう人との関係を、こちらから断っている。
それが、事実のようだった。
自分はいらない。
どうにもならない人とはかかわらない。
体力が衰えた私は、
何だか自我という我も衰えてきたようだ。
そっちの方が、心は平安だ。
人とはあんましかかわらなくなったが、
何だか心が穏やかになっている。
これも歳をとったことの、利点であると最近は想っている。-
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