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from: クマドンさん
2019/02/26 05:04:53
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魚沼バスの旅
日曜日は、魚沼のバスの旅だった。
快晴無風。
八海山・巻機山がこんなにも美しく輝いているとは。
富岡ホワイトだった。
解説を聴きながら、一枚一枚絵を見つめた。
富岡ホワイトをキャンバスに塗る。
そして、刀鍛冶への特注のヘラで削る。
そこに黒を入れる。
あの独特の景色がそこで生まれる。
難病を克服し、倒れ、腕も十分に使えなくなった晩年。
その絵に、朱色の小さな線が入った。
無数の細かな線の中に、
朱色の線・点の集まりが、右から左へ、連なっている。
それが、私には仏様の集団に見えた。
無数の線や点は、仏の視点でのこの娑婆の姿。
私たちはそこで生かされている。
その私たちの中に、朱色の仏様・菩薩様が居る。
私は、涙が流れた。
絵を観て、感極まったことは、生まれて初めての経験だ。
作者の想いが、迫って来た。
湯沢の高半旅館の川端康成の部屋だった。
そこに座って、谷川連峰の雪景色を堪能した。
ここに三年間も逗留した。
ここで、雪国が書かれた。
今は、彼は、魂としての顕れ。
文学という作品の中で、彼は、生きる。
作品は、生きる。
彼が、死んでも、作品は、彼の魂を宿したままだ。
鈴木記念館で、棟方志功だった。
まさかこの塩沢で志功さんの作品に出会えるとは夢のような話だった。
昨年の九月に青森に行った。
そして、棟方志功記念館で、あの曼荼羅を観た。
その気魄に、その迫力に、まさに圧倒された。
動けなくなってしまった。
そして、ここにあの福世かな乳房を顕わな菩薩たちだった。
みなモデルさんが居たという。
しかし、私には、何だかみんな同じ女性に観えた。
永遠の母。
私の亡くなった母にも似ている。
幼くして死に別れた母への憧れ。
一途に板に彫り込んだ。
彼は自分の版画を「板画」と呼んでいる。
あの有名な十仏弟子の本物だ。
ついでに、パプアニューギニアの民族文化にも触れる。
ここにも、魂が生きている。
魂が、語っていた。
そして、鈴木牧之の「北越雪譜」だった。
雪国のことを描き、江戸時代にベストセラーになった書物だ。
何と自費出版だった。
牧之は、どうしてもこの雪国のことを江戸の人たちに知らせたかった。
その一途な情熱が、この書物になった。
そうだなぁ。
やっぱり、人は、一途な魂に成り切った時、
何かの作品を残すんだな。
その作品とは、その魂の姿・形。
その魂の想いや願い。
私は、作品と出会い。その作者と出会い。
その作者が内から突き動かしている湧き上がる力を観ている。
その魂としか呼べない力や働きが、
こうして作品を産み出し、この世に遺った。
あれは、作者の作品であるが、作者だけの作品ではない。
そうせざるを得ない衝動に突き動かされて、
顕れとしてこの世に現われた、魂の姿・形なんだな。
そこに、作者が居なかったら、その作品は世には遺されない。
そして、その作品が遺されたことで、
魂のコトバは刻まれ、記録され、
観る者の魂にその想いが継承されて行く。
まさに、作品とは、魂の語り部なんだと、そう感じた。
牧之通りから、でっかい真っ白な巻機山だ。
ああ、あれもやっぱり魂が生み出した大自然の作品なんだ。
山を観ると、胸がすーっと癒される。
「これでいい」と、励まされる。
「私のように生きなさい」との激励だ。
あらゆるものは、やはり、魂からの作品なんだな。
そうやって見直すと、きっと何かを語りかけてくれるはず。
その声に感動した人たちが、作者となり、その声を姿・形にした。
実に、尊いことだと、私は、想う。
昼からは、やっぱり飲み続けのバス旅行だった。
ずっと同じ姿勢のおかげで、昨日は背中の腰辺りの筋肉の痛み、痛みだった。
その痛みを感ずるたびに、
また、あの作品に、あの魂に会いに行きたくなってしまった。-
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