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from: クマドンさん
2019/04/05 05:29:38
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深く味わうと言うこと
深いものは、深く在りたい。
しかし、時には深いものが、浅くなる。
そのことが、とても残念だと思うこともある。
担々麺のスープの味だった。
味とは、その創り手だけが出せる味だ。
それは、その造り手が身体で知っている味だからだ。
やっぱり創りながら、味見をしながら、
「うん、これでいい」という味と出会うことが必須だ。
その「うん、これでいい」は、既に、その創り手の内に在る。
きっとそれは、本人が気付かなくても、あるはずだ。
そのある味に、創った味をぴったりと合わす。
ある究極の深さに対して、試行錯誤を繰り返す。
「まんぺいヌードル」を創る時の万平さんたちだ。
みんなが「うまい」と感じなければ、
そのスープの味は、失格の味。浅すぎる味なんだ。
つまり、みんなは、食べる前から、その「うまし」の基準をもっている。
本当に「うまい」と、一言で言い切れる味は、
もう既にこの生きている私の身体には備わっている。
そうでなければ、この「うまい」の説明は不可能だからだ。
だから、その創り手は、その「うまい」を深く深く追究して、
具体的な姿形、味として、この世に誕生させねばならないんだ。
それが、料理人の職人としての技である。
きっと「うまい」という心の底にある感覚と、
その「うまい」を形に現せる技とは、
職人の中で一致していなければ、
その「深い味わい」は、けっして生まれないことだと思う。
担々麺の最初のひと口だ。
「うまい」と本当に感じられたとき、言葉は出ない。
その味をただただ深く五臓六腑で味わうだけだ。
よくよく考えたら、味わうとは、どういうことなんだろうか。
この深くて美味しい味を、
私は、身体のどこで「うまい」と感じているのだろうか。
不思議だなぁと、ふと想う。
しかし、その深い「うまい」を持っていなかったら、
または、これできっと「うまい」と感じてくれるだろうと勘違いしていたら、
そして、「まぁ、これでいいはな」と、胡坐をかいたら、
それは、きっと、深い「うまい」ではなく、
浅い、どこにでもある「うまい」で終わるのではないかという話だった。
本当に「うまい」ものは、物語をもっている。
それは、あの「まんぷくヌードル」がそうであるようにだ。
その究極の「うまい」に行きあたるまでには、
どれだけの刻苦勉励と挫折と失敗と試行錯誤があったことか。
しかし、その「うまい」に行きつけた人とは、
そうであっても、必ずそれは存在する。
自分が求めているものは、きっとあるはずだと、諦めなかった人だった。
私は、中途半端の「うまい」で、止まっている人を、
本当の料理職人とは感じない。
「ああ、この人は、この味で満足しているんだな」
「この味で、700円をお客さんからもらえたらそれでいいんだな」と、感ずる。
しかし、「うまい」とは、真剣勝負なのではないか。
いつも、大好きなものを食べに行くときは、そう感ずる。
だから、黙って、その麺や蕎麦やパスタに向き合う。対話する。
すると、創り手の想いが感じられることがある。
物語がある。それが、本物だ。
その麺や蕎麦やパスタは、ちゃんと語ってくれるからだ。
だから、残念なものは、食べたくはない。ただ、それだけ。
味わうは、感ずるの前かな。
そのものと直接に出会った瞬間、その刹那が「味わう」だ。
この「味」という在り方・生き方・感じ方に、
今は、深くこだわりを感じている。
それは、生きることとは、深く深く味わうことではないかと、
やっと想えるようになったからだ。
だから、感ずるとか、考えるとか、思うとか、の前に、
深く深く今、ここを、味わっているだけで、
人とは、幸せを感じられる存在ではないのだろうかの「問い」でもあった。
今日も、深く深く味わいつつ、生きることとする。
もうすぐ朝日が昇る。-
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