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from: クマドンさん
2019/04/15 05:15:43
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菩提寺山に登った
気持ちのいい、一日を過ごせた。
ハイキングも久しぶりだった。
菩提寺山にAさんと登った。
ゆっくりと、のんびりと、自分の身体の声を聴きながらだった。
何だか61歳になって、人生にいろいろとあって、
本当に疾風怒濤のように駆け抜けて、そして、生き残り、ここにある。
その私が経験した一つ一つが、
今、ここに、言葉として顕れている。
同じ苦労や苦しみを経た者同士だけが感じられる深い繋がりだ。
腹を切った者にしか、その腹を切った実感は感じられない。
弱さのどん底に沈んだ者だけが、弱さの友となれる。
孤独を深く深く味わった者は、他者の孤独を我が事のように感じられる。
経験をするということは、他者との共感を深めるということだ。
分かる。分かる。とは、
自分自身でそのことを体験し、経験していなくては、言えない言葉だ。
それから、その痛みや苦しみとじっと向き合い、
その「意味」に気付き、それを言葉で「顕し」、「語れる」ということだ。
ただ体験をしただけでなく、
その「何で私が・・・」の体験を突然与えられた私が、
そのことを否定したり、人を恨んだり、運命を呪ったりするのではなく、
そのことを、「引き受ける」「受け入れる」「認める」ことでもあった。
50代後半の私の人生は、そんなことの連続、連続だった。
それなのに、こうして、のほほんと生きている。
なるようになっている。
へぇ、そうか、そうだったんだと、感心したりしている。
「人生、じたばたしない。何とかなるさ。大丈夫」と、言える。
それは、この私が見舞われた疾風怒濤の様々が、
私の身体を通して、教えてくれたことばかりだった。
歩きながらの話だった。
「やっぱ、身体で分かんねとね」
「身体はちゃんと生きようとしているんだから、邪魔をしないことらな」
「腹が減ったらご飯を食べる。食べ終わったら器を洗う」
「頭で余計なことばかり考えて、潰れてしまうのも人だね」
「何もしない。ぼーっとする。休みを入れる。無理をしない」
「人の中に居ない。自然の中で息をする」
本当に歩きながらの気付きだった。
温泉の露天風呂で、素っ裸で椅子に座り、越後平野だった。
桜は眼下に満開だった。
気持ちよく、清々しく、ただ、ぼーっと日向ぼっこだった。
「これで、いいがな」だな。
別に何もしていない。何もする気もない。ぼーっとしている。
しかし、そのことがこんなにも気持ちよく、心地よい。
何だかね。力を抜いて生きたいものだと、ふと感じた。
身心脱落。
全部落としたら、何が残る。
身体や心への執着を無くする。
他人からよく想われたい、褒められたいという欲を無くする。
何もできない。何もやれない。それでいいと、自分を認める。
それでも、ただ、こうして、生かされている。
雨音が激しくなったと、気付く。それだけ。
脱落身心。
そう生きたいと、
今も、思う。
ただし、これがほとほと難しい生き方なんだな。-
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