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from: クマドンさん
2019/06/24 05:24:29
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怒濤の一週間、よく生き残ったものだ。
怒濤の一週間だった。
よくよく生き延びたと感謝している。
火曜日。
突然、地震だった。
しかし、この揺れならば大丈夫と感じた。
津波警報だった。
あの東日本大震災のことが脳裏をよぎった。
「避難すべし」だった。
町内のお年寄りや独り暮らしの人の家を回った。
それでも、避難した人は、三分の一の人。
大山台の上には、既にたくさんの避難者が居た。
それなのに、避難する建物が無い。
老人憩いの家を開ければいいのにと、みんなは思った。
保育園も避難所になるのにと、みんなは思った。
大山台への坂は、車で大渋滞だった。
水曜日。
夜中の午前一時に津波注意報が解除だった。
少し眠ったら、すぐに朝になった。
それから仕事に出かけた。
寝不足が身体に効いた。
とにかく、頭がぼーっとして、身体が鉛だ。
それでも日々の仕事は、熟さねばならない。
木曜日。金曜日。
翌朝は、5時に家を出た。
修学旅行で、佐渡ヶ島だった。
ジェットフォイルが早朝の為に、この時刻の出勤だ。
地震の二日後、延期した小学校も多かったと聞いている。
何事も無く、楽しく過ごせた。
無事であることの幸いをつくづく感じた。
帰りのフェリーでは、カモメに手から餌をやった。
疲れ果てて、自宅に帰って来たら、すぐに慰労会のために駅前だった。
この強行スケジュールには、耐えられない歳になっている。
身体が悲鳴を挙げていた。
飲み放題。日本酒は飲まないと決めていたが、最後はがぶ飲み。
一次会で帰るつもりが、「まあ、まぁ」と、拉致された。
二次会では、記憶を失い、タクシーで帰ったら、金も失った。
土曜日。
午前中は、身体が動かず、意識が朦朧として、朝食後は布団の中だった。
大山を超えたが、次の大山を今日、越えなければならなかった。
それは、清津狭温泉への家族旅行だった。
東京から前夜に次男が帰省した。
妻と長男、次男との、恒例の家族旅行だった。
何故か知らぬが、こんなにも強行スケジュールになっていた。
そもそもの躓きの始めは、あの地震による寝不足からだ。
全く酒を受け付けず、車の中でもグロッキーだった。
やっと夕食に胃腸が戻り、それでも美味しく頂けた。
日曜日。
ところが、早朝に露天風呂に浸かり、
その後、ロビーでコーヒーを飲んでから、突然、おかしくなってしまった。
吐いた。吐いた。朝食は、ほんの数口、箸をつけただけで終わった。
宿の人には申し訳なく思った。
そして、やっと帰宅して、ほっとしていたその夜に大事件が起こった。
それは、ここには記さない。
怒濤の一週間を終えることができた。
しかし、寝不足のままで、身体も絶不調だ。
昨夜の大事件の後、何だか、早くこの世から去りたいと思うようになった。
もういいかな・・・。
まぁ、余生のつもりで、今日を生きることにする。
それにしても・・・・。-
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