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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/07/28 07:14:28

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    あるがままにあるがままを観る

    彼は、家出少年だった。
    16歳、高校を途中で、光を求めて東京にやって来た。
    宿は無し、金はなし、仕事も雇ってくれる場所も無し。
    はぐれ、彷徨っているうちに、少女と出会う。

    少女は、18歳と言っている。マックでバイト中に彼と出会った。
    そして、ある運命によって、彼に救われる。
    少女はバイトを首になった。
    母は昨年亡くなった。小学6年生の弟と二人暮らし。
    彼女が懸命に働くことで、二人は生きている。

    少年は、命の恩人の中年男に拾われた。
    売れないしがないフリーのライターをしている。
    月給3000円。宿付き、食事つき、仕事付き。
    彼には、まだ5歳くらいの娘がいる。
    喘息の彼女は、妻の実家のお母さんが預かっている。
    彼の妻は、事故で突然亡くなった。
    経済的にも、生活態度的にも、同居は無理、無理だった。

    その姪っ子が同居している。
    20歳かな。就活に勤しんでいるが、ことごとく断られている。
    アシスタントをしながらも、ある意味では無職である。

    人は、形而下では個々の苦しみや悩みでいっぱいだ。
    それは、自分だけでなく、自分のことでもあり、自分だったことだった。
    そうした日々の悩みを持ちつつも、懸命に都会の片隅で生きている自分。
    ああ、私の東京の4年間がそうだったな。
    先が見えない。バイト、バイト。酒を飲んでも独りかな。
    都会って、人がわんさかといるために、
    そのど真ん中で息をしていると、ずんと寂しく、孤独になるものだ。

    みんなは、帰る家が在り、待っている人が居る。
    疲れた顔で電車に乗っている人、人、人、は、
    全部絶対にこの後は、出逢わない、かかわらない、存在すら忘れる人たちばかり。
    真っ暗な四畳半のアパートに帰りたくねぇなぁ。
    風呂無し。トイレ共同。テレビ無し。
    隣の女子大生は、よくよく彼氏を連れて来る。夜の営み。壁1つ。
    休日なのに、500円も財布の中に入っていない。
    それをバス代にして、目黒の叔母さんちに行って、晩飯を食べ、小遣いをもらう。

    さてさて、そんな形而下での個々の苦しみ、悩みだけでは物語にはならないものだ。

    超越した天と繋がる。
    少女がある光に導かれて、祈りつつ、鳥居をくぐったところから、
    この物語は異界と繋がり、そのままの今、こことなる。
    異界と繋がり、そのパワーを現実にすることで、
    その異界が異界でありながら、この形而下にも存在しているものであることの証。

    彼女は、晴れ女となり、ネットでも話題の人となる。
    その頃、東京は長雨続きで、天候の異変が続く。
    晴れる日が無く、日の光を見ることも全く無い日が続いていた。
    そこに、彼女が現われた。
    まさに救世主、メシアだった。

    天は、彼女の入りに応え、暗雲がいつの間にか去り、
    光り輝く青い空が広がる。あなたは、それを信じるかだな。

    超越的な幸福は存在しいてる、とある本に書いてあった。
    その超越した、あるがままを、信じられるかどうかだった。
    その存在は、信じようが、信じまいが、ここにあるもの。
    それは、「あるがままにある」だけだ。
    それと私とが、一致するかどうか。
    つまり、その働きと一つに融け合い、一つになれるかどうかだった。

    そうなった瞬間から、形而下の苦しみと悩みとは、どこかへ消えてなくなってしまう。
    心は、ただ永遠なるものと繋がっていることへの平安に充たされる。

    ウィトゲンシュタインの言葉だ。
    「人間は自分の意思を働かすことはできないのに、他方にこの世界のあらゆる苦難を
     こうむらねばならない。と想定した場合、何が彼を幸福にしうるのであろうか。
     この世界の苦難を避けることができないというのに、そもそもいかにして人間は
     幸福でありうるのか」

    その問いに対する、彼の答え。
    「まさに認識に生きることによって。
     良心とは認識の生を保証する幸福のことである。
     認識の生とは、世界の苦難をものともせぬ幸福な生である。」

    「認識とは、世界をしかと見ることである。≪ある個別な出来事が起こるか否か≫
     に振り回されることなく、そこから一歩退いて、≪すべてはあるがままにあり、
     起こるがままに起こる≫という仕方で一切と向き合うこと。」
    「こうした認識の生を生きるときには、不確かな未来をめぐる不安や取り返しの
     つかない過去をめぐる後悔は消滅し、そして、現実が永遠なものと接触し、
     「安心」が湧きおこる。」
    「引用の二文目は、≪すべてをあるがままにあるとみる生は、「安心」という
     幸福を保証する≫と述べる者と解されます。」  
                        「幸福と人生の哲学」 山田 尚

    さてさて、そこと繋がり、それを信じて生きられるまでに、私は61年と11カ月だ。

    「すべてはあるがままにあると見るような超越的次元に幸福は姿を現す」

    「ウィトゲンシュタインは、≪語りえぬもの≫を≪神秘≫と呼び、
     それを大切にする姿勢を重視しました。」   同上

    「もとよりことばには出せぬこともある。それはみずからを示す。
     それがすなわち神秘的なるものである。」

    「私は、敢えて矛盾に陥りつつ言えば、≪幸福は神秘だ≫と主張したい。」

    「いずれにせよ何よりも重要なのは、私たちを「超えた」語りえぬものが在るという
     ことへの気づきです。」

    「ひとはみな、あるいは病に苦しみ、あるいは他者に傷つけられ、あるいは罪を犯し、
     あるいは挫折し、あるいは愛するひとを失い、あるいは貧困に追われ、
     あるいは虚しさに窒息し、あるいは欲望の奴隷となり、それぞれの老いを経て
     死んでいく、または、不慮の事故のために死んでしまう。
     だがこれがすべてではない。そして、これがすべてではないと「語る」とき、
     私たちはこの世の不幸を圧倒する何かに触れることになるのです。」 同上

    ここに、この少女と少年、それを取り巻く人たちの物語が在る。

    さてさて、それを信じたい人は、「天気の子」を観るといい。
    またまた、私の涙は溢れ続けた。どうしよう。溢れ続ける。
     

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