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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/07/31 06:17:34

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    生かされたまま、無為に生きる

    暑い、暑い、暑い。
    庭の野菜や花たちもぐったりとしている。
    小千谷のSさんに電話した。
    しかし、暑さのせいか、電話ができずに終わっている。
    一日、ぼーっと生活している。

    自宅の縁側から、庭を観ていた。
    そこで、暑さの中でぼーっとしながら本を読んだ。
    「老子」につてい書かれた本だった。
    「無為自然」そのままでいい。
    ぼーっと生活している私には、ぴったりの本だった。

    庭の花たちは、この暑さを喜んでいるようだった。
    ペンタゴンは次々と花を開き、
    ジーニャスの花の数が増え、生き生きと発色していた。
    ピーマンとシシトウの葉は、萎れて元気がないが、
    何だか自然に在る生き物たちにとっては、
    この暑さは、それなりに生きる力と展化されているようだった。

    こんな時間がなかったなぁと、ふと感じた。
    雀たちに米をやった。
    その餌場に恐る恐る近づいて来る雀たちだった。
    しばらく疎遠であったために、
    久しぶりのこの変化にどう対応すべきか迷っているようだった。
    しかし、雛を連れた親鳥が勇気を出して餌場に乗り、
    米粒をくわえて雛の口にやっていた。

    じっと暑さの中で耐えて咲く花たちを眺めることも、
    こうして雀たちの仕草を観察することも、
    何時間もここに座り一冊の文庫本を読み終わることも、
    そんな時間が、久しく私には無かったことを、悟った。
    一年前、まだ仕事に復帰していない頃、
    日々、この生活を続けた。

    上善水の如し

    足るを知る

    不争

    何も為さない。何も持たない。何もしない。そのことの勧めだな。
    仕事に追われている最中には、こんな時間の過ごし方は罪だと感じた。
    何かをやらなくては、意味がないのではないかとも、思っていた。
    だから、じっとしていなかった。
    予定を入れた。家を出た。自転車で走り回った。家事に勤しんだ。
    とにかく動くことが、生きることだと、マグロだった。

    でも、しかし、こうしてぼーっと午前中、庭を観ている。
    本を読むが、次々と読んだ言葉を忘れる。
    その読んでいる最中だけ、その言葉を味わい、心に感じて、それだけのこと。
    今は、どんな言葉が書かれていたかは、思い出せない。
    それでも、言葉を読んでいる最中は、満足している。

    ぼーっとしたまま、そのぼーっとしている時間を味わう。
    その何も無い。何も起こらない。
    それでいて、目には見えないが、少しずつ変化しているここを、味わう。
    味わうと言うことは、感じるということ。
    味わうと言うことは、よくよく見ること。
    すると、花の一つ一つの色の違いや、雀たちの仕草のあれこれが、
    何だかとても愛おしく、楽しく、心地よく感じられる。

    久しく無かったことは、この細やかな変化をじっと見つめて、感ずることだった。

    確かに「無為」である。
    しかし、その「無為」に「足るを知り」その時の流れに心満たされ、感じ続ける。
    それは、頭ではなく、「ここ」で感ずるそのまんま。

    すると、不思議なんだが、人としての生きる「意味」を教えられる。

    ああ、置かれたあの場であの花は、耐えて、忍んで、花を咲かせる。

    花はいつか終わる日を迎える。終ることは、みんなに平等な宿命だな。

    雀にも子がいる。そして、その子の成長を第一にする。

    この猛暑もきっと久しからず。いつか、爽やかな秋の風に変わるはず。

    氷を入れたアイスコーヒーのマグカップの周りにびっしりと水滴がついていた。
    この水は、目には見えないが、この暑さの空気の中に溜まっていた水である。
    目には見えないものは、こうして存在しているんだな。

    無為であることで、そうした自然の働きや、意味に気付くことができる。
    決して、みかけでは何もしていないように見えるが、
    そのまんまで、どんだけ働きに動かされて、変化していることか分からない。

    その自然の1つが、私だった。
    私も、この花たちや、雀たちや、この雲たちや、風たちと同じ働きに拠って、
    創られ、生かされ、変化されている一つの存在なんだな。

    花が私で、雀が私で、あの大山台のポプラが私で。
    そうやって思えば、私でないものは一つもないような気がする。
    そのあるがままの在り方が、私に、私のあるべきようを教えてくれる。
    人は、「無為」であることで、やっと「自然」を味わえる。

    本日、人間ドックだ。何も食べられない。コーヒーも駄目駄目。
    腹がすく、そんな私を味わっている。見つめている。この視点なんだな。
    昨日は、開腹手術から3年ぶりにトレセンでトレーニングをした。
    ヘルニアで開いた腹筋が、がちがちに縛られ、やっと回復したようだ。
    この手術のおかげで、山をやめた。走ることをやめた。スキーをやめた。
    私が、余生でやりたかっことを、やめざるを得なかった。

    それで、ヨガと出会った。
    そういうもののようである。
    水のように流れるままに生かされていればそれでいいんだ。
    自分から欲を出して、無理をすることは無い。
    淡々と、置かれた場所で、与えられた使命を果たす。

    「無為」とは、何もやらない、努力しないということではない。
    「無為」とは、「自然」の命ずるまま、迷わずに生かされるということだ。

    今年の猛暑の中で、それが私の日々の修業となっている。

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