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from: クマドンさん
2019/09/08 06:22:54
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奇跡・奇跡・奇跡・奇跡
何と奇跡の連続だった。
それは、私が体験した事実としての奇跡だった。
「そんなこと、ある、ある」と簡単に通り過ぎる人たちには、
絶対に奇跡の到来と恩恵とは与えられない。
私は、その同じ体験を、「奇跡」と感ずる。
何故なら、そこに神様からの働きかけがあるかだった。
金曜日の夕方、帰宅途中に施設に行った。
そま施設の「秋まつり」のポスターの写真が、
せっちゃんと、かずちゃんと、トシちゃんだった。
1年前に施設に来た時、撮られた写真が採用されていた。
「こんなことって、あるんだなぁ」の驚きだった。
せっちゃんは、ずっと眠ったままだった。
ところが、暫くして薄目を開けると、その眼の光に意志を感じた。
私は、何度も何度もせっちゃんに呼びかけた。
半ば諦めかけていたその時、「あーーー」と、せっちゃんが声を出した。
反応していた。私の言うことを理解していた。動かないが、心が働いていた。
「せっちゃん、俺、誰ら?」と顔を近づけて訊くと、
「あんた、バカらね・・・」と言われた。
「そうらんさ、バカらんて、相変わらずせっちゃんだなぁ・・・」と笑った。
そこで、かすちゃんに携帯でせっちゃんの声を聴かせることにした。
喋って欲しい時に、喋ってはくれない。これもせっちゃんだった。
かずちゃんにさっきのことを話したら笑われた。
「あんた、バカらねぇじゃなくて、あんたばっからねぇって行ったんがね。」
たった一つ小さな「っ」が入るだけで、こんなにも意味が違うものかの驚き。
帰る時、「また来てね」と見つめられたときは、やっと涙を堪えていた。
ああ、おばちゃんは、まだこっちの世界に居てくれた。
そして、言葉で自分の想いを伝えてくれた。これって、奇跡なんだなの実感。
土曜日の朝、突然映画に行くことを決めた。
8:30上映の「ダンスウイズ」だった。朝ラーではなく、朝シネだ。
催眠術にかかってしまったOLが音楽が鳴ると突然、ミュージカルスターになる。
そんな在り得ないが、あっても欲しい設定の映画だった。
なかなか愉快な映画だったが、できは・・・。まぁ、こんなもんだろうと、
せっかく来たのだから最後まで観て帰ろうと思っていた、その瞬間だ。
「新潟に、行こう」と、ペテン師の催眠術師を追っかけて、
ポンコツ車で新潟までやってきたのだった。
萬代橋だった。やすらぎ堤だった。途中、五頭山と角田山だった。
「何だこれは」と、いっぺんでこの映画が好きになった。
私は、映画が終わるとすぐに自転車に乗って、やすらぎ提に出た。
そこは、たったさっきあの女優たちが歌を歌っていた場所だった。
映画のロケ地に、映画を観て数分後に立てる幸せ。
これって、やっぱり奇跡ではないだろうか。
そして、映画の途中で閃いた。
「あっ、今日って、バッティストーニだった」
午後2時から長岡市立劇場で、
我が憧れのマイストロ―の演奏会だったことを思い出した。
彼は、いつか世界的な指揮者の1人となり、偉大な芸術家となるはずの逸材だ。
私は、NHKの「らららクラシック」で彼の指揮を観て、虜になってしまった。
「この人だ」その人が、長岡にやって来る。
「チケットは」まだ持っていない。
しかし、この熱いパッションに対して、きっと奇跡は起こるはず。
劇場に電話したら、何と前列2列目の席が空いていた。ゲット。
自宅に帰って支度をして、バスに乗って、コンビニで菊水とお稲荷さんを買って、
12時06分の信越線長岡行きに乗車した。
さっきまで映画館だったのに、今は、長岡行きの電車の座席に座っている。
まず空腹を満たすために、お稲荷さんと太巻きを6個食べた。
電車が動き出したら、ハイボールを飲み、矢代田で菊水の缶を開ける。
ほろ酔いで北長岡だったので、トイレに立った。
これが、いけなかった。
私は、文庫本とUSDの音楽ステックを座席に置いた。
そして、長岡に到着したら、私は・・・そのまま電車を出てしまったのだ。
つまり、私は、その二つを座席に置き忘れたまま、電車を降りてしまったのだ。
そのことに気付いたのは、長岡からの帰りの電車だった。
「ない。ない。ない。どこにもない。」
さて、初めての長岡市立劇場だった。座席が、40年前の映画館のそれだった。
狭くて小さく、隣の人をまたいで自分の席に行かねばならなかった。
始まった。彼が、あのバッティストーニが、あの黒のいで立ちで颯爽と歩いて来た。
夢なのではないか・・・。憧れて、切に願っているとその願いはかなうものだ。
彼の演奏を聴きたいと願い、そして、ここにその願いが実現した。
彼は、レスピーギを振りながら、全身で音楽そのものとなっていた。
オーケストラを見上げ、全く全体が見えない座席で、
私は、彼の指揮だけをじっとじっと体感しながら音に浸った。
彼の腕の動きと同時すると、音楽が音そのものとして伝わって来る。
レスピーギのローマ三部作は、知られていない作品かも知れない。
隣の年配のご夫婦には、何だかとても難しい曲に感じられたようだ。
それでも、彼は、没頭し、音そのものと化し、音が彼の全身から迸った。
音は、その瞬間瞬間に引き出されるものだし、創りだ出されるねのだった。
この音の音としての色彩の美は、目の前の彼が、
全治全霊を賭けて創り出している音だった。これが、コンサートの奇跡なんだ。
最後は特別出演の金管50名が舞台の袖で、高らかに賛美を奏でる。
これぞバッティストーニだ。
アンコールの「カバレロ」には、泣けた。
大好きで何度も何度も聴いたことの曲の最高の演奏だった。
至極の時は、かくて過ぎ去り、あの音楽はもうどこにも無かった。
長岡でバッティストーニを聴けた、奇跡。
そして、席を立ったら「クマさん」と呼び止められた。
何と同じ町内のAさんだった。
「今度の祭り、参加しますね」だ。ここで大山町の人と会えるとは・・・。奇跡。
私は、16:16の新潟行きに飛び乗った。そして、気付いた。忘れ物に。
どっと寂しくなってしまった。あのステックに私の大切な音楽が満載だったからだ。
しかし、いつまでもくよくよとはしない。仕方ない。諦めよう。
また、ゼロから音楽を入れ直して、作ればいいではないかと、慰めた。
菊水一番搾りが、哀しい心に沁みた、沁みた。
車掌さんに訊いた。
「忘れ物をしたのですが、どこへ行ったらいいですか?」
「新潟駅の忘れ物センターに行って聴いてみてください。まだ開いていますよ」
17:20に新潟駅に到着だった。
すぐに、左手奥の奥、センターに行って訊いてみた。
「ああ、あれね、ほら、さっき〇〇さんが記録していたあれですよ」
中年の叔母さんの事務員の声が、天の声に聴こえた。
「あった、これです」ビニル袋に入った、私忘れ物二点だった。奇跡だ。
この二つは、何と私より先に新潟駅に到着していたんだ。
「あのぅ、電車賃は・・・」と言って、笑われた。
最後にとっておきの奇跡を紹介する。
行きの紡績角のバス停で、同じ町内の85歳のKさんに会った。
彼は、やすらぎ堤に駅伝を観に行くところだった。
彼は、ウルトラマラソンを走っていた強者である。
しかし、膝を故障してからは、走ることを止めていた。
その彼は、万代のバス停で下車をした。
そして、私が忘れ物と再会して歓喜しながら駅前のバスセンターに行ったら、
その列の一番前に彼が立っていた。
「えっ」という本当の驚きだった。
これを奇跡と呼ばすしてどうするのですか・・・だな。
彼と出会ったのは11:31の紡績角のバス停だ。
彼と再会したのは17:33の駅前のバスセンターだ。
さてさて、このピンポイントの奇跡を奇跡として信ずるか、
単なる偶然と見過ごすか。
実は、ここに大きな人生の違いがあるのだが、
人は、なかなかその真実に気付かないものだった。残念。-
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