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from: クマドンさん
2019/09/09 05:51:16
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愛を乞う人たち
人は、育った環境なのか。
私は、ある先生から教えられたことに、何だか腑に落ちた。
それは、あるところに集まっている人たちが、
とても冷たく、頑なで、相手に対して攻撃的なメッセージを、
身体全体から出しているからだった。
どうして、の人たちは、笑わないのだろう。
どうして、この人たちは、いつも怒っているのだろう。
どうして、この人たちは、人の話を聴かないのだろう。
どうして、この人たちは、自分のことばかり言い続けるのだろう。
そんな人たちに囲まれていると、
何だかこちらまで変な緊張感を持ってしまう。
本来ならば平安で、心落ち着く場であるはずなのに、
いつもそこに座ると戦闘モードになってしまう。
こちらも、あちらのオーラーに負けないためだった。
しかし、ここには、何の解決も、平安もないことは、よくよく分かっている。
そして、先生と二人で話した。
「どうして、あの人たちは、ああも頑なで、攻撃的なんですか」と、問うと、
「それは、あの人たちが育った環境に愛がなかったからですね」との答えだった。
つまり、あの人たちの幼少期に親から愛されていないか。
もっとひどいことには、虐待を受けていたか。
または、親を早くに失ってしまったか。
いろいろとその原因はあるけれど、
「あの人たちは、自分のことを愛してほしいと、願っている人ですね」だった。
「承認欲求」とでも言うのか、
「あなたは、あなたのままで、私には大切な子どもだよ」
「父さんには、あなたは大事大事な宝物だよ」
「あなたは神様からの預かりものだよ。父さんには大切なあなただよ」
とにかく、幼い時は、そんな言葉だけでなく、
ぎゅっと抱きしめたり、手を繋いだり、添い寝したり、遊んだり、
ちゃんと親が子どものことを最優先で向き合っていることが、
実は、その子の人生にどれだけ大事なことか、
私は、その先生の言葉で、納得した。
NHKの土曜ドラマ「サギデカ」を観ている。
犯人の背景には、いつもこの生育歴が深く深くかかわっている。
父が行方不明になり、母がネグレクトのあげく家を出て、
幼い弟と2人、食べるものを近所の人からもらって生きた。
その内に、弟は衰弱して亡くなってしまった。
まだ、小学生の兄は、施設に保護をされ、そこで大学まで進学をした。
子どもにとっての親とは、宿命でもあった。
親を、子は、選べない。
4歳の女の子が父親でない21歳の男に虐待を受け、亡くなった。
どんなにか恐ろしかったことだろう。
殴る、蹴る。毎日毎日が恐怖の連続。満足に食事も与えられていない。
その子の母である女は、男の暴力が怖くて止めに入ることができなかった。
可愛い我が娘が、殴られているのを、黙って見ていた。
その子は、風呂での溺死だった。
そんなわけはないだろう。
4歳の子が風呂で溺れるわけはない・・・・。
もし、私が、親から捨てられた子であったらどうだっただろうか。
周りのみんなが羨ましく、どうして私だけが…と思い、
暴走したのではないだろうか。まっすぐは生きられなかったと思う。
私の中学時代の同級生で、その道にまっしぐらの男がいた。
いいやつだった。私は大好きだった。
でも、彼にもきっと誰にも言えない影があったのだろう。
もし、私が片親だったらどうだろうか。
きっと、どこかで心の寂しさを抱えて生きていたことだと思う。
我が家は確かに夫婦喧嘩の絶えない家でもあった。
父が競馬で毎年毎年サラ金からの借金だった。
それでも、父も母もいい人だった。
私は、今も、父と母でよかったと心から感謝している。
しかし、飲んだくれの父だけだったり、
夜の仕事でいつもいつも留守の母であったりしたら、
どんだけ、幼いその子の心と魂は寂しかったと、想像できる。
虐待なんぞは、もってのほかだ。
子ども時代の恐怖は、大人に対する信頼感を失うだけでなく、
自尊感情が育たず、愛されなかった自分に、
生きる意味すら見出さないと思われる。
学校教育と言われるが。
本当は、家庭教育なのではないか。
いや、親が親として子どもの成長の為に自立し、生活を営み、
愛情豊かに子どものことを育てることが、
何よりもの人間教育なんだと、先生の話を聴いて私は思った。
確かに、人のことをとやかく言い、陰口・悪口・誹謗中傷。
口を開くと自慢話と人の悪口。
そんな人を私は何人も知っている。
「どうしてこの人たちは、人のことが気になるのか」
ほっといてくれればいいのに、あちらこちらで悪口を言いふらす。
どうしてこの人は、それをやめられないのか。
それは、その人が、そう他の人からやられて来た人だからだ。
そして、自立し、自分の思うように生き、発言している人を見ると、
悔しくて、腹が立って、どうしても許せずに、やっつけたくなってしまう人だった。
それは、やっかみであり、嫉妬だった。
自分がそう生きられなかったから。
自分がさんざん周りの人からいじめられ、馬鹿にされて生きて来たから。
そういう自由・独立・自立の人を、赦せないと思うんだな。
つまり、その人も、愛されて来たなら。
今も、家族や周りの人たちの愛を感じていたのなら、
けっして、人は、人の悪口・陰口・嘘偽り・誹謗中傷などしないものだ。
それから、先生が言っていた。
「その人たちも、伴侶や家族から愛されれば救われるのですがね・・・」だった。
「愛」なんだな。
本当は、目には見えず、触ることも、手に持つことできないものだが、
ゆっぱり、人は「愛」で真っ直ぐに育つものなんだなとの実感だった。
その人たちも、自分自身を振り返ってみるといいんだ。
そうすれば、人のことをとやかく言えるような自分であるのかどうかが、
よく分かるはずだ。
みんな出来ない、愚かで、日々罪を犯す、弱く、哀れな存在なんだ。
なのに、他の人たちを攻撃する人たちは、
実は、自分自身が愚かで、哀れな人たちだと、知らない人たちだった。
攻撃に対しては、攻撃であってはいけない。
攻撃が在ったら、それにたいしては、「愛」と「赦し」であらねばならない。
私は、先生に大切なことを教えてもらった。
しかし、この自分を捨てる「愛」が、とてもとても難しい生き方なんだ。
でも、そうしなさいと、内なる心の声は語ってくれる。
愛なく育ち、愛なく生きている人たちだからこそ、
最も愛を必要とするのだと、先生は言った。-
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