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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/09/10 05:43:52

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    内なる声に聴き従いながら

    連休に酒田への旅を決めた。
    それは、前からこの港町を訪ねてみたかったからだ。

    昨年、鶴岡の致道博物館で知り合ったAさんから聴いた西郷さんの話だった。
    西郷さんが庄内藩を助けるための松ヶ崎一カ月滞留だった。
    その話の中で、酒田の「南洲神社」の話が出た。
    あの高校教師が私財を投じて造った神社だった。
    ぜひぜひ、いつかはこの神社を訪れたい。
    そんな願いを昨年から持っていた。

    そして、ドキュメンタリー映画だった。
    そこにこの街の喫茶でありbarである「ケルン」のことが記録されていた。
    マスターは、80歳の大ベテランだ。
    彼は、「雪国」というカクテルを辛苦の末に考案して、世に出した。
    その色、その味が、まさに「雪国」そのものだった。
    その彼は、酒田大火も経験した。
    「グリーンシネマ」だったかな。その映画館からの出火だった。
    その映画館のドキュメンタリーもシネウインドで観た。
    その時からも、「酒田」は私にとっての憧れの街となった。

    退職してから、電車での旅が続いていた。
    思いついたら、チケットを買って、出発する。
    電車の時刻を調べ、宿をネットで予約して、観光地の情報を収集する。
    その土地に行くまでに、あらかたのその土地の地図は頭に入れる。
    そして、動線をシュミレートしながら、
    どこの店に入るか。どこの建物を見学するか。どこで何を食べるか等、
    徹底的にリサーチする。
    この作業が、実に実に面白い。

    電車に乗る。
    後は、目的地の駅を目指すだけ。
    運転は、この電車の運転手がしてくれる。
    私は、ぼーっとして、車窓から見える景色を眺めている。
    景色が次々に後方に流れて行く。しかし、切れ目などどこに存在しない。
    ずっとずっとその土地の景色が続く。繋がる。広がる。
    その変化かは、電車に乗れば当たり前のことだった。
    それでは、私は、景色を観ているだけなのかと問われると、
    実はそうではなかったと、最近、やっと分かった。

    日常の生活で、こんなに何時間もぼんやりできる時間はあるか。
    まあ、ないな。
    特に、ぼーっとしていられない性分の私は、
    せっせと何かを考えて、行動にすぐに移る。
    昨日も、帰って来たから一時間、庭のプランタの野菜の後始末に汗をかいた。
    つまり、私は、ぼーっとしながら、
    「私自身」と「対話」していたのだと、ある日気付いたんだな。

    流れて行く景色と向き合いながら、
    私が本当に向き合っているのは、
    ここに「いる」私となんだと。

    何とも説明のし仕様がないのだが、分かってくれる人は分かるはずだ。
    賢治さんは、あらゆる景色は、自分の心象風景だと言っていた。
    そうなんだな。
    不思議なんだが、見える景色の中に、私が居るんだな。

    田んぼの中のダイサギが居た。
    畑の真ん中に立っている一本の柿の木がある。
    遠くに青く霞んだ山々が見える。
    鉄橋のガタンゴトンの音の中で、滔々と流れる信濃川だった。
    田んぼの稲の色が黄金色に色づいている。
    カンカンカンと鳴る踏切の前のおんぼろ軽トラック。
    小さな駅のホームの片隅の名も知らぬ花たち。

    何だか、見えるそのものは、ある意味、私なんだとの実感。
    私は、景色と向き合って居ながら、
    本当に向き合っているのは、私の心であり、魂なんだとの気付き。
    庭の花たちもそうだった。
    向こうとこっちではなく、仲間というか、友というか、朋友と言うか、
    「あの花は、私です」という歌詞がどこかにあったような・・・。
    その感覚だな。

    「あのダイサギは、私です」
    「あの柿の木は、綿です」
    「あの山は、私です」
    そうやって流れ過ぎる景色を観ているとみんな私なんだと、そう感ずる。

    長岡までの1時間余りの旅も、私との対話の旅だった。
    だから、菊水一番搾りを飲み、クラシックやjazzをイァーホンで聴きながら、
    私は、時を忘れて、その時間の流れに身を任せる。
    何も余計なことは考えない。
    過ぎ去ったことをくよくよと悩まない。
    まだ来ない時のことなんぞ、かまうものかだ。
    今、ここに、出逢う全ての心象風景に、自分を見つけ、自分に気付く。
    「ああ、わたしだけでないんんだな」
    「みんなもそうやって生きているんだな」の気付き。

    またまた、そんな気付きと発見の旅に、この三日間出るつもりだ。
    宿は幸運にもとれたる
    一泊3200円の「白鳥荘」だ。
    連泊で6400円。私の旅は、いつもこんなだ。

    さてさて、憧れは大事なことだ。
    心にその憧れを抱いている限り、その憧れはいつしか現実となるはずだ。
    そして、旅を通して、また、忘れかけていた本来の自分自身と対話する。
    そのことで、私は、私の「内なる声」にまと気付くことになる。
    そしたら、その声に、有無を言わずにただ従うだけだ。

    その声に聴き従って北海道へ移住した人が居る。
    私は、その人のことを、深く深くリスペクトしている。
    きっとその人は、日々旅の途上であることだろう。
    「内なる声」は、信ずべき魂からの呼びかけでもあった。

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