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from: クマドンさん
2019/09/11 05:30:33
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与えられた今、ここを生きる
毎日が旅なんだと思えたら、
きっともっと気楽に、楽しく日々を生きられるのではないだろうか。
そんなことを昨日は、思った。
今、ここで出会っている人とは、
きっと何かの縁が在って出会った人だ。
私は、この職場には、突然、呼び出しがかかったからやって来た。
いや、何度も、何度も、お断りした。
それは、私のやるべきことは、もうここではないと思ったからだ。
しかし、「困っています。助けてください」の悲痛な願いを、
私は、無礙に断ることはできなかった。
「三か月間だけ」という期限付きでの復帰となった。
「いたしません」が、私のポリシーだった。
私は、子どもの為に復帰しました。
だから、余計な校務は一切いたしませんの宣言だった。
歳をとるということは、畏れが少なくなると言うことなんだな。
しかし、こうして明日でちょうど一年間である。
お断りした仕事なのに、一年間続けている。
それも、この4月からは、こちらからお願いして働かせてもらっている。
それは、6年生が4名居るからだ。
この子たちを、中学生まで育てたい。
そんな一心で、仕事を続けている。
よく思うことがある。
これは、本当に私自身が決めたことなのかと。
三年前には絶対に想像もできなかった現実を今、私は生きている。
しかし、この選択は、私がしたものかどうかなんだな。
最後には確かに、私が決断したことだ。
しかし、その職場に来てほしいと言う求めは、
私とはまったくかかわりのないところの事情によるものだった。
私が、求めていたとしても。
きっと、この仕事とは出会えたかどうかは、分からない。
ここに来て、出会った子どもたちを見て、俄然とやる気を出したが、
この子たちと出会えることは、私には、全く予想すらできないことだった。
それを、偶然と呼ぶ人が多いだろう。
そんなものだと、すっと見過ごす人も多い。
だけど、私には、その当たり前が、とてもとても不思議なんだな。
今、ここに居ること。
今、ここで仕事をしていること。
今、ここでこの子どもたちと出会っていること。
それって、今、ここの私が、成長するために、
神様から与えられたものではないかと、考えるからだ。
そのことの証明はできないが、
そのことを召命と思ったらどうだろう。
きっと、私は、「ここ」に呼ばれて来たのだという自覚。
きっとこの今、ここの全ては、私に与えられたものだという理解。
つまり、自分からしたのではなく、
そうさせられたという他力による現実。そのもの。あるがまま。
ならば、「大丈夫」「何とかなる」という、深い深い信念・信頼。
何故なら、私にとって「善く生きる道」は、
きっとこの神様から与えられた一本の道を行くことだからだ。
「ぼくの前に道はない ぼくの後ろに道はできる」
その気付きが、きっと人を深くし、人を育てる。
歳をとって分かったことが、これだった。
だから、どんな状況であろうとも、
神様が与えてくださったものは、それが無礙の一道。幸せへの道なんだな。
だから、迷わないことだ。後悔しないことだ。後ろを向かないことだ。
なつの爺ちゃんの言葉だな。
親を亡くした人にしか、親の亡くした人の気持ちは分からない。
苦労して原野を切り拓き開拓した人にしか、開拓者の気持ちは分からない。
多くの試練に見舞われ、それでもへこたれずに生きて来た人にしか、
そうやって生きている人の苦労や哀しみは分からない。
つまり、この道を行くとは、そういうことなんだ。
与えられたその土地と仕事とで開拓者として生きる。
私のこの一年間は、そんな日々だったような気がする。
残されているのは、あと半年だ。
来年の三月には、子どもたちも私も卒業を迎える。
旅人して生きる。
開拓者として生きる。
神様を信じて生きる。-
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